バンテアイ・チュマール寺院は、シェムリアップの街から約170km離れた辺境の地にある巨大な地方寺院です。アンコール王朝を最盛期へと導いたジャヤヴァルマン7世によって建立されたと言われています。
カンボジアとタイの国境近くにあり、アクセスは容易ではありませんが、密林の中に眠る大伽藍は迫力たっぷりで、訪れる人々を魅了します。
「幻の千手観音」と呼ばれる大アヴァローキテシュヴァラ像は圧巻の一言! 世界遺産への登録も近いと言われている貴重な遺跡です。
バンテアイ・チュマールはひじょうに見どころの多い遺跡であるため、こちらの記事は1万字越えのボリュームになってしまいました。下記の目次からぜひ気になる箇所に飛んで、読んでいただければと思います🙏
バンテアイ・チュマールとはどんな遺跡?
バンテアイ・チュマール寺院(Banteay Chhmar)は、カンボジア北西部に位置する、アンコール王朝時代の重要な遺跡の一つです。
一般的には、12世紀後半から13世紀初頭にかけて、ジャヤヴァルマン7世によって建てられたとされています。アンコール・ワットやバイヨン寺院と同じ時期に建設されており、クメール建築の特徴がよく表れています。
誰がいつ建てた寺院なのか?
通説によると、バンテアイ・チュマール寺院は、ジャヤヴァルマン7世が12世紀後半から13世紀初頭にかけて創建した寺院であると言われています。
たしかに、アンコール・トムのバイヨン寺院などと共通する点が多く見受けられ、全体的な雰囲気はよく似ています。
ジャヤヴァルマン7世の息子であるシュリーンドラクマーラ王子(後のインドラヴァルマン2世)を祭っている寺院だと考えられています。
発見された碑文の内容によると、王子の他にその土地の有力者(将軍?)4名を合わせた、計5名の彫像を本殿に設置していたそうです。
しかしながら、ジャヤヴァルマン7世が建てたとする説には、いくつか矛盾する点もあり、断定するにはやや早計と言えます。
ジャヤヴァルマン7世が創建した寺院はひじょうに数が多く、三十余年の治世の中で、王都から遠く離れたバンテアイ・チュマール寺院まで手掛けたとは俄かに信じがたい話です。なぜアンコールの地域ではなく、わざわざ遠方に建立したのかという疑問も残ります。
第19代目の王であるヤショーヴァルマン2世が敵の奇襲を受けた際、シュリーンドラクマーラ王子に助けられたという逸話が残っています。もしかすると、ヤショーヴァルマン2世がバンテアイ・チュマールの建立に関わっていたのかもしれません。
バイヨン寺院との共通点
ジャヤヴァルマン7世によって建立されたバイヨン寺院とバンテイアイ・チュマール寺院には、いくつか共通する点があります。
まず特徴的なのは屋蓋部分に刻まれた四面尊顔です。一説によると、これらの顔は、慈悲深い神である観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)を象徴しているとされ、ジャヤヴァルマン7世の信仰していた大乗仏教の影響を強く反映しています。
また、両寺院ともに第一回廊には複雑で美しい浮き彫りが刻まれています。チャンパ軍との戦いの様子など、描かれているテーマにも共通する点があります。
バンテアイ・チュマール寺院とバイヨン寺院は、どちらも複雑な建築構造を持ち、多層構造や多くの回廊、塔が見られます。また、後述する「The Hall of Kinnaris」は、ジャヤヴァルマン7世が建立した寺院でよく見られる「The Hall of Dancers」と似ています。
重要な地方拠点として機能していた
バンテアイ・チュマール遺跡は、カンボジア・タイの国境に近くにあります。かつてスーリヤヴァルマン1世が造ったピマーイ寺院(現在はタイ国内)へ続く、アンコールからの王道の途中に創建されました。
この地域は、アンコール王朝時代における、物流と交易の重要な地方拠点であったと考えられます。豊かな穀倉地帯が広がり、西北部最大の都市として当時は栄えていました。一説によると、8世紀ごろから人々が集まる都市であったと言われています。
1930年代にバンテアイ・チュマール寺院の調査を行ったG.グロリエ氏は、寺院の建設には約1万から1万5千にも及ぶ作業員が携わったという試算を出しています。工期は27〜30年ほどかかったようです。
バンテアイ・チュマール寺院は、クメール語では「បន្ទាយឆ្មារ」と表記されます。バンテアイ(បន្ទាយ)は「要塞・砦」を意味する言葉で、「ឆ្មារ」は「小さい」を意味します。
*ただし、後半の「チュマール」の部分は、本来「門番」を意味する言葉で、時代と共に音が変化していったのだと考えられています。
世界遺産の登録目前?
バンテアイ・チュマール遺跡は、ユネスコの暫定世界遺産リストに現在登録されています。
2024年現在、カンボジアで世界文化遺産に登録されている遺跡は下記の4箇所です。
- アンコール遺跡群(1992年)
- プレア・ヴィヒア寺院(2008年)
- サンボー・プレイ・クック遺跡群(2017年)
- コー・ケー遺跡群(2023年)
バンテアイ・チュマールの文化的・歴史的価値を鑑みれば、カンボジアで五番目の世界遺産に登録される日も遠くありません。
今までは地元の寄付金によってバンテアイ・チュマール寺院の現地考古学調査、清掃、保全、修復が行われてきましたが、世界遺産に登録されればさらに遺跡の整備が進むはずです。
バンテアイ・チュマールへの行き方
バンテアイ・チュマール遺跡は、シェムリアップの北西側にあります。シェムリアップからは約170km離れており、車で片道約2時間半〜3時間かかります。
シェムリアップの街からの日帰りは可能ですが、移動時間が長いため、出発は朝がおすすめです。個人単独で訪問することは難しいため、ツアー参加もしくはガイド付きが良いと思います。
バンテアイ・チュマールはアンコール・パスの対象外です。現地でチケットを購入する必要があります【5ドル/人】
バンテアイ・チュマール寺院の周辺には、いくつかの衛星寺院(小・中規模寺院)が残っています。遺跡の東側には大きなバライ跡もあり、その中央にはメボンも残っています。
また、バンテアイ・チュマールの環濠内にはジャヤヴァルマン7世の指示により設置された「灯明の家(Dharmasala)」も残っています。「灯明の家」とは王道を往来する人々がかつて利用していた宿泊施設です。タ・プローム寺院やプリア・カン寺院にも似たようなものがあります。
バンテアイ・チュマールの見どころ!
バンテアイ・チュマールは、プリア・カン寺院とほぼ同じ規模の寺院で、周囲約3kmの環濠に取り囲まれています。
基本的には、バイヨン寺院と同じ(またはよく似た)建築・美術様式を採用しており、ジャヤヴァルマン7世によって創建されたとする説が一般的です。
バンテアイ・チュマールでしか見られない特徴的で珍しいレリーフなどがたくさんあるため、遺跡好きの方にはたまらない遺跡と言えますね!
第一回廊のレリーフ
バンテアイ・チュマールは、三重の回廊が中央祠堂を取り囲む構造になっています。
もっとも外側にある第一回廊は、アンコール・ワットやバイヨンと同じく壁面に見事な浮き彫りが刻まれており、歴史的にも芸術的にも注目すべきポイントです!
かつては、東西南北すべての壁面に浮き彫りがあったと考えられますが、現在は崩壊している箇所も少なくありません。特に東面と西面には見事な浮き彫りが残っているので、訪問した際はぜひチェックしてみてください。
実は第一回廊のサイズだけを比較すると、バンテアイ・チュマールはアンコール・ワットよりも僅かに大きいです
西面南側
まずは西面の浮き彫りからチェックしていきましょう。西面の南側にはバンテアイ・チュマールの代名詞的存在とも言える千手観音像が刻まれています。
これほど見事なアヴァローキテシュヴァラ(観音菩薩)の像は、数あるアンコールの寺院の中でもとりわけ珍しく、仏陀に対する篤信を物語っています。
32本の腕と11の頭部、そして冠を戴く大アヴァローキテシュヴァラは圧巻です(写真上)。地元の人々によって線香やお花などが供えられていました。
現在残っているアンコール遺跡群の中には、ヒンドゥー教寺院もあれば仏教寺院もあります。たとえば、タ・プロームやプリア・カン、バンテアイ・クデイなどは仏教寺院としてジャヤヴァルマン7世によって創建されました。
しかしながら、ジャヤヴァルマン7世の没後、13世紀半頃からヒンドゥー教シヴァ派の大乗仏教に対する反発が強まり、過激な廃仏毀釈運動が活発化します。この時期に多くの仏像が破壊され、レリーフの多くも削り取られてしまいました。
幸いなことに、バンテアイ・チュマールは中心部(現在のシェムリアップ)から離れた場所にあったため、そうした廃仏毀釈運動の影響を免れることができたようです。
バンテアイ・チュマール遺跡は、1990年代に大規模な盗掘の被害に遭いました。第一回廊西面の千手観音像も1998年ごろに盗まれ、現場は見るも無惨な状態だったそうです。
盗掘されたものの一部はタイ国内で押収され、その後はプノンペンにある国立博物館にて一度的に保管・展示されました。しばらくしてバンテアイ・チュマール現地に戻され、現在は計6尊の千手観音像(観世音菩薩像)を目にすることができます。*かつては計8尊あったと言われていますが、2尊は行方がわかりません。
第一回廊西面の南端には、王宮内の様子らしきものも描かれています。画面上部には王(もしくは王子)や王妃の姿もありました。
画面下部には、米袋を運ぶ人々の姿や食べ物を掴む人々の姿などが賑やかに描かれています。戦の勝利を祝う祭のようなものの場面を描いているようです。
西面北側
西面の北側にも見事な浮き彫りが残っているので、ぜひ忘れずに鑑賞してください。右から左に向かって、絵巻物のように描かれています。
こちらのセクションで何といっても注目すべきは、下の写真レリーフです。
一説によるとAの人物は、ジャヤヴァルマン7世の息子であるシュリーンドラクマーラ王子(後のインドラヴァルマン2世)と言われています。Bはラーフ(Rahu)と呼ばれる阿修羅(アスラ)です。
ラーフに襲われたヤショーヴァルマン2世をシュリーンドラクマーラ王子が救ったという逸話が残っています。
*Aの人物をジャヤヴァルマン7世とする説もあります
Cは牛を飲み込もうとしている巨大な怪物です。牛の真後ろには荷台の御者の姿が描かれています。
ラーフは4本の腕と1本の尾を持つ阿修羅です。ヒンドゥー教の創世神話「乳海攪拌」にも登場します。
乳海攪拌のあと、神々と阿修羅たちは不死の妙薬「アムリタ」をめぐって戦いを繰り広げていました。最終的に神々がアムリタを手中に収めたのですが、アムリタを飲もうと集まっていた神々の中に、神の姿に化けたラーフが紛れ込んでおり、アムリタを口にしてしまいます。
そのことに気づいた太陽の神スーリヤと月の神チャンドラがあわててヴィシュヌ神に報告し、ヴィシュヌ神が円盤でラーフの首を切り落としましたが、ラーフの首は不死となってしまいました。
その後、天に昇ったラーフの首は、告げ口した太陽と月を恨み、定期的に彼らを飲み込むようになります。ヒンドゥー教の神話において、日蝕と月蝕の由来となりました。
下の写真は、王子(もしくは王)が訪問した高官たちに挨拶をしている場面です。注意深く浮き彫りを観察していると、王や王子などの主要人物がたびたび登場していることがわかります。
西面の北端にあるのは「乳海攪拌」のレリーフです。アンコール・ワットの第一回廊に描かれたものと異なり、こちらのレリーフでは阿修羅たちが左側、神々が右側に配置されています。
画面中央で采配を振るっているのがヴィシュヌ神です。その上の2つの円盤には太陽の神スーリヤと月の神チャンドラが登場しています。画面下部には水中の生き物たちの姿、そしてマンダラ山を支える神亀クールマも描かれています。
全体の規模としては、それほど大きくありませんが、細部までよく描かれており、見応えのある構図です
南面西側
第一回廊の南面は崩壊している箇所も多く、それほどレリーフが残っていませんが、西側に描かれた下記の場面はとても特徴的です。
おそらく内戦時の様子を描いたもので、中央の人物が2つの頭を掲げる様子が描かれています。
クメール帝国において、王位は世襲制ではなかったため、新たな王が即位する際には争いが起こることも珍しくありませんでした。自らの実力を証明するために、大規模な寺院建立は重要なプロジェクトであったと考えられています。
東面南側
第一回廊の東面には、クメール帝国とチャンパ(かつてベトナム南部に存在した国)の戦いの様子が描かれています。バイヨン寺院にも同じくチャンパ軍との戦いの様子が描かれているので、比較してみるとおもしろいです。
こちらの浮き彫りは、左から右に進みながら鑑賞していきましょう。まず陸上戦の様子から始まり、途中から湖上戦の様子に切り替わります。
下の写真に描かれているAの人物はジャヤヴァルマン7世です。写真だとわかりにくいのですが、観音菩薩が彫られた簪らしきもので髪を束ねています。
Bの人物に関しては諸説ありますが、ヴィディヤーナンダナー(Vidyanandana)王子である可能性があります。ヴィディヤーナンダナーは元々チャム族の王子でしたが、ジャヤヴァルマン7世に素質を見出され、さまざまな教育を受けました。その後、将軍としてジャヤヴァルマン7世に仕えたと言われています。
一方、下の写真に描かれているのはジャヤヴァルマン7世の2人の妃です。この2人は姉妹で、妹であるジャヤラージャデヴィ妃が先に嫁ぎました。たいそう美しい女性であったと言われています。
しかし、ジャヤヴァルマン7世の即位直後に逝去してしまい、姉であるインドラデヴィ妃が妻となりました。インドラデヴィ妃は知的で教養深い人物として知られており、ジャヤヴァルマン7世の国政にも大きな影響を与えたようです。敬虔な仏教徒であり、また優れた詩人・教授でもあったとされています。
下の写真で描かれているのは、チャム人(チャンパ軍)の兵士たちです。後ろを気にしながら撤退していく場面が表現されています。
下の写真は、ひじょうにユニークな構図をしています。画面上部から下に向かって描かれている曲線は川を表しています。川の中で泳いでいる魚もいますね。
ここからは水上戦の様子です。下の場面では、上部でジャヤヴァルマン7世が弓を構えています。船に多くの水夫や戦士が乗り込み、チャム軍との戦いを繰り広げました。
同様のシーンは、バイヨン寺院の第一回廊にも描かれています!
水中の様子も細かく描かれています。実際にトンレサップ湖に棲息している淡水魚の姿もありました。かつては野生のワニも多くいたそうです。
Klook.com美しい彫像の残るテラス
バンテアイ・チュマールは、一般的な寺院と同様に東側が正面になっています。東側には広々としたテラスが広がっています。
ここで着目すべきは、見事な保存状態のナーガとガルーダの彫像です。ナーガの胴体はそのまま欄干と繋がるようになっています。
こちらの彫像は長い間土の中で埋まった状態だったため、大きく破損することなく、当時に近い状態で発見されました。
これほど保存状態の良いものはなかなか目にすることができませんね!
バイヨン寺院と類似した四面尊顔
バンテアイ・チュマールの美術様式については議論の余地がありますが、バイヨン様式と通じる部分が多く、巨大な四面尊顔が特徴的です。
バイヨンのものと比較すると、やや小ぶりでいずれも柔和な表情を浮かべています。
バンテアイ・チュマールでは、見学者用に木製の足場が組まれています。地上よりも高い位置にあるので、祠堂の屋蓋(屋根部分)を近くで観察することができます
破風やリンテルなどの装飾
バンテアイ・チュマールは、あらゆる箇所に装飾が施されていて、ひじょうに見応えがあります! 現在は大部分が崩壊していますが、創建当時はさぞ華やかな姿だったにちがいありません。
The Hall of Kinnnaris
バンテアイ・チュマールの構造上の特徴の一つが、「The Hall of Kinnaris(緊那羅のホール)」と呼ばれるエリアです。
ジャヤヴァルマン7世が創建したプリア・カン寺院やタ・プローム寺院には「踊り子のホール」と呼ばれるエリアがあり、ここにはアプサラの姿が多く描かれています。
バンテアイ・チュマールでは、アプサラの代わりに「緊那羅」と呼ばれる精霊(神)が描かれています。
緊那羅は音楽の神で、特に歌が美しいと言われています。漢字では区別しませんが、男性であれば「キンナラ」、女性であれば「キンナリ」と表記することが多いです。
下の写真のリンテルは、珍しいシーンを描いています。
中央のCの人物はブラフマー神です。ブラフマー神はヒンドゥー教における三大神の一人ですが、このようにリンテルの中央に登場するのはとても珍しいです。
残念ながら頭部が欠けてしまっているBの人物はヴァールミーキだと推測されています。ヴァールミーキは古代インドの聖仙であり、古代叙事詩『ラーマーヤナ』の編纂者です。その名はサンスクリット語で「蟻の丘」と意味します。
左端の人物Aはバラモン僧(brahmin)です。ハープを奏でています。
Eの人物は狩人で、鳥を模した帽子をかぶって、弓を構えています。放った矢はDの二羽の鳥に命中しました。矢が鳥の首を射抜いています。
下の写真は、ヒンドゥー教の三大神が揃った破風(Pediment)です。中央のBは頭部が欠けてしまっていますが、8本の腕を持っており、シヴァ神だと考えられます。
*シヴァ神ではなく、仏陀とする説もあります。バンテアイ・チュマールでは至る箇所で神仏混淆が見られます
その両脇のAはブラフマー神で、Cはヴィシュヌ神です。
下の写真の破風も、実に美しくて見事でした!
中央のAは、『ラーマーヤナ』にも登場する魔王ラーヴァナで、20本の腕と10の頭を持つ姿で描かれています。Bに描かれているのは、シヴァ神のようです(諸説あり)。
基壇に描かれたガルーダと獅子
先ほどの「The Hall of Kinnaris(緊那羅のホール)」の両脇には、それぞれ小さな祠堂が建っていたようです。現在は崩壊してしまっていますが、基壇の部分だけ残っています。
基壇には獅子とガルーダの姿が描かれており、両手を上げて天井を支えるようなポーズをしています。こちらと似たような意匠は、アンコール・トム内の「象のテラス」にも登場します。
デヴァター像
バンテアイ・チュマールは崩壊している箇所が多く、身舎の部分が見えにくいのですが、ところどころ壁面に刻まれたデヴァター像を見つけることができました。遠目から見る限り、衣装や髪飾りは控えめなデザインをしています。
地上に置かれた破風
遺跡の至る所に破風の部分が置かれていました。崩壊してしまったものをそのまま積み直しただけのようです。
部分的に欠けているものも多いのですが、仏教モチーフのものからヒンドゥー教の神を描いたものまでバリエーション豊富に揃っています。バンテアイ・チュマールは仏教寺院とされていますが、それまで主流であったヒンドゥー教も受容しつつ、信仰に取り込んでいたようです。
森に埋もれた遺跡の神秘的な姿
バンテアイ・チュマールは、大部分が崩壊しており、シェムリアップにある遺跡と比べると修復作業はそれほど進んでいません。
遺跡には大樹が絡まり、森の中に飲み込まれたような状態になっています。特に中央祠堂の辺りは、映画のワンシーンに登場しそうな神秘的な雰囲気でした。
今回訪れたのは8月上旬、雨季のタイミングでした(幸い、当日雨は降りませんでした)。緑が色鮮やかで美しかったです!
現在は、木製歩道・階段が設置されているので、歩きにくいということはほぼありません。平地型の寺院なのでアップダウンもほぼ無いです。
ただし、全体的に歩く距離は長いので、歩きやすい靴で訪問するのがオススメです!
バンテアイ・チュマール遺跡|まとめ
今回はバンテアイ・チュマール遺跡について、たっぷりとご紹介しました!
カンボジアとタイの国境近くにあるため、アクセスは容易ではありませんが、「千手観音像」をはじめとする珍しい貴重なレリーフがたくさんあり、訪問する価値は高いです。
まだ大規模な修復作業は行われていないため、発見当時に近い姿を目にすることができるのもポイントの一つかと思います。
シェムリアップの街から訪問する場合、丸一日の行程にはなりますが、ぜひカンボジアの遺跡に興味のある方は足を運んでみてください!
*ヒンドゥー教の要素もあり