
カンボジアの秘境「大プリア・カン(Preah Khan Kampong Svay)」は、アンコール王朝の地方拠点として栄えた壮大な遺跡です。
シェムリアップから日帰りで訪れることが可能ですが、道中は険しくアクセスは非常に困難。しかし、その分、観光客が少なく、ほぼ未修復のまま手付かずの美しさが残っています。
鬱蒼とした密林に覆われた石造りの回廊、苔むした寺院、絡みつく大樹の根——まるで映画のような神秘的な光景が広がります。シェムリアップの遺跡群とは異なる、静寂に包まれた歴史遺産を独り占めできる貴重なスポットです!
大プリア・カンはどんな遺跡?
カンボジアの秘境「大プリア・カン(Preah Khan Kampong Svay)」は、アンコール・ワットの約5倍もの広大な面積を誇る壮大な遺跡です!
正式名称は「プリア・カン・コンポン・スヴァイ(ព្រះខ័នកំពង់ស្វាយ)」ですが、現地の人々の間では「プラサット・バカン」とも呼ばれています。シェムリアップにも同じ名前の遺跡がありますが、そちらとは別物です。「プリア・カン」という名前は「聖なる剣」という意味を持ちます。
11世紀初頭から建設が始まり、アンコール都城に次ぐ地方都城として発展。経済的・軍事的に重要な拠点であり、複数の王が何世代に亘ってこの地を整備しました。
現在は密林に覆われ、ほぼ未修復のまま神秘的な姿をとどめていますが、その歴史的価値は高く、カンボジアの暫定世界遺産リストにも登録されています。

かつての地方拠点であった遺跡は、現在「五大遺跡」とも呼ばれています。大プリア・カンはそのうちの一つです

大プリア・カンの歴史
大プリア・カンは、複数の王の世代にわたって造営が進められてきました。どのような変遷を辿って、地方大都城が作り上げられてきたのか、時系列に沿って見ていきましょう!
造営が開始されたのは11世紀初頭
遺跡で発見された碑文によると、どうやら11世紀初頭にスールヤヴァルマン1世[13代目の王]によって外周壁部分の造営が開始されたようです。即位前のスールヤヴァルマン1世にとって、アンコール方面を攻略するための重要な地方拠点でした。
王位継承戦で勝利を果たしたスールヤヴァルマン1世がアンコール都城に居を移した後も、地元の有力者たちなどによって、少しずつ中小寺院の建設や礼拝が続けられたと考えられています。

ダラニンドラヴァルマン2世の拠点
スールヤヴァルマン1世の即位から約150年後、大プリア・カンはダラニンドラヴァルマン2世の地方拠点として再び栄えるようになります。*諸説あり
ダラニンドラヴァルマン2世は、ジャヤヴァルマン7世[21代目の王]の父にあたる人物です。正式にアンコール王朝の王としては即位していないものの、地方豪族の一人だったのではないかと言われています。大プリア・カンは、カンボジア南部および中部を攻略する上で地理的に重要な位置にあったため、軍事的な補給基地として重宝されました。

ジャヤヴァルマン7世の軍事拠点
ジャヤヴァルマン7世の時代においても、大プリア・カンは軍事的および経済的な要所として発展していました。隣国チャンパの攻略の際には、大プリア・カンを遠征の起点としていたそうです。
また、ジャヤヴァルマン7世が即位する前、トリブヴァナーディティヤヴァルマン[20代目の王]がヤショーヴァルマン2世[19代目の王]を暗殺し、王位を簒奪した際には、王国の混乱を救うべく、大プリア・カン地方で出撃の機会を伺っていたようです。

大プリア・カンからはジャヤヴァルマン7世像頭部(プノンペン国立博物館にて収蔵)が出土しています。現存する4つの「ジャヤヴァルマン7世像」のうちカンボジア国内にあるのは2体のみです。その他の大プリア・カンから出土した貴重な美術品の数々は、19世紀末にフランスの調査隊が本国へ持ち帰ってしまったため、現在はパリのギメ東洋美術館に収蔵されています。
少数民族クイ族による鉄生産と馴象
遺跡から20kmほど離れたあたりに「クイ」と呼ばれる少数民族の人々が古くから暮らしています。彼らは、特に鉄鉱石の採掘と精錬に優れた技術を持っていたことで知られています。
アンコール王朝の時代、クイ族は鉄の生産を担い、歴代の王に鉄鉱石や加工された鉄を献上していたそうです。アンコール帝国の繁栄を支えた武器や農具、建築資材の一部は、彼らの鉄加工技術によって生み出されたものだったと考えられています。*諸説あり

中央本殿の入り口あたりには、かつて製鉄や鋳造を行っていた跡が残っています。
また、中央祠堂のデヴァター像をよく観察してみると、砂岩の連結に鉄材が使われていたことが確認できます。これは後世に補修されたものではなく、創建当時に用いられたものです。

似たような鉄材はアンコール・ワットでも確認されています。石材を積み上げていく際に強度を高めるために使用されました。目に見えない部分で、このような仕掛けがなされているのですね!

また、クイ族と馴象(象の調教)の関わりは深く、彼らは伝統的にカンボジア有数の象使いとして知られています。クイ族は古くから森に生きる民族であり、野生の象を捕獲し、調教する技術を代々受け継いできました。象は単なる労働力ではなく、神聖な存在であり、共同体の一部として扱われています。
アンコール王朝時代には、クイ族が調教した象が戦争や建築作業、輸送に用いられたとされ、アンコール帝国の繁栄を支える重要な役割を果たしていました。特に戦象は戦場で大きな力を発揮し、王の軍隊に欠かせない存在でした。また、大プリア・カン周辺の森にはかつて多くの野生の象が生息しており、クイ族はその象たちを捕らえて王に献上していたとも言われています。
内戦と盗掘による被害
大プリア・カンは、カンボジア内戦と盗掘の影響を大きく受けた遺跡のひとつです。
1970年代から1990年代にかけて続いたカンボジア内戦・混乱期の間、大プリア・カン遺跡周辺はクメール・ルージュ(ポル・ポト派)や政府軍の戦闘地域となりました。この遺跡は密林に囲まれた僻地にあったため、クメール・ルージュの拠点のひとつとして利用されたとも言われています。
戦闘の影響で遺跡の一部が破壊され、砲弾の跡が今も残る場所もあります。また、地雷が埋設された地域もあり、戦後もしばらくの間、安全な調査や修復作業が進められませんでした。

また、国内の混乱に乗じて、大プリア・カン遺跡では大規模な盗掘が行われました。特に1990年代から2000年代初頭にかけて、組織的なプロ盗掘グループが活動し、多くの貴重な彫刻やレリーフが持ち去られました。
石像や寺院の装飾部分が切り取られ、国外へ不正に持ち出されたものも少なくありません。一部の遺物は美術館や個人コレクターの手に渡り、現在もカンボジア政府が返還を求めているケースがあります。
当時、盗掘の被害を防ぐために、近隣の僧侶や村人たちがシンハ像を村の寺に移動させ、あえてペンキを塗ったという逸話も残っています。新しい彫像に見せかけて、盗掘団の目をごまかすためだったそうです。


現在、大プリア・カンはカンボジア政府の管理下にありますが、遺跡の大部分は未修復のまま。その手付かずの状態がかえって「秘境遺跡」としての神秘的な雰囲気を醸し出しており、訪れる人々にかつての壮大な歴史の名残を伝えています
遺跡へのアクセス・観光方法
続いて、大プリア・カンを観光するにあたって、行き方やチケットなどについてご紹介していきます。シェムリアップやプノンペンからひじょうに離れた遺跡であるため、事前に必要な情報をしっかり確認してから訪問するようにしてください。
大プリア・カンの位置
大プリア・カンは、直線距離にしてシェムリアップから約100km東側に移動した位置にあります。ただし、実際は幹線道路を通って迂回するルートになるので、道のりとしては150kmほどです。道路状況にもよりますが、シェムリアップからだと片道4時間前後かかります。
訪問の際は現地ガイド付きのツアーがおすすめです。街からかなり離れた場所にあるため、携帯電話の電波が圏外になることが多く、個人単独での訪問は困難です。標識などもほぼ無いため、現地を熟知したガイドが同行していないと、観光自体も難しいと思います。

携帯電話が使えないと、怪我や事故などの緊急時の対応も難しいため、個人での訪問はオススメしません

かつて大プリア・カンとベンメリア、そしてアンコール都城は「王道(Ancient Khmer Highway)」によって結ばれていました。「王道」とはアンコール王朝時代に整備された重要な古代道路のひとつです。「王道」は単なる土の道ではなく、土を盛り上げて舗装された高架道路のような構造になっていました。
下図は当時の「王道」を示した地図です。現在のタイにあたる地域まで「王道」が敷設されていることから、クメール帝国の勢力範囲がいかに広大であったかを物語っています。
By Maharaja45 – Own work, CC BY-SA 4.0, Link
「王道」により、雨季でも水没しにくく、安定した輸送や移動が可能になり、アンコール都城と地方の拠点を結ぶ主要ルートの一部となりました。特に軍事・経済の要として機能していたと考えられます。
現在、この「王道」は密林に覆われ、一部が土道や村道として残っていますが、当時の石敷き道路の跡を見ることができる場所もあります。道中にはナーガ(蛇神)の欄干がついた石橋や休憩所などの遺跡が点在しており、王や僧侶がこの道を通って巡礼や視察を行っていたことがうかがえます。
入場料
「アンコールパス」の対象外遺跡であるため、独自チケットを遺跡の入り口で購入する必要があります。チケット代は1人5ドルです(2025年3月時点)。
支払い方法は現金かQRコード決済のみでした。ただし、おつりの用意が無いため、現金で支払う際はぴったりで渡せるように準備しておきましょう。
トイレ状況
大プリア・カンの付近に綺麗なトイレはありません。手桶で水を流すタイプの簡素なトイレが中央本殿の表参道前にあるのみです。

トイレットペーパーなどは置いてないので、自分でティッシュペーパー等を用意する必要があります(紙は流せないので注意してください)
周辺の小遺跡など
大プリア・カン寺院は一つの大きな都城であり、外周壁内やその周辺には多くの小祠堂や石橋などが残っています。
基本的に観光のメインとなるのは、中央本殿です。その近くにある、「プリア・チャトモック」や「プリア・ストゥン」なども見どころとなっています。スケジュール的に余裕があれば、バライの中央に残る「プリア・トコル」やバライ東端の「プリア・ダムレイ」などを観光するのも良いと思います。

各遺跡は距離が離れているので、移動は基本的に車です。場所が分かりにくい箇所もあるので、現地ガイドさん付きのツアーで訪問しましょう!
セットで観光できる遺跡
正直なところ、シェムリアップからの日帰り観光なら大プリア・カンだけでも十分なほどですが、さらに気合を入れて臨むならサンボー・プレイ・クックなどとセットで観光することも可能です。
基本的には大プリア・カン単体でツアーを組むことが多いと思いますが、他の遺跡も希望する際はツアー会社に相談をしてみましょう。サンボー・プレイ・クックも「五大遺跡」の一つに数えられる秘境遺跡です。機会と余裕があればぜひチャレンジしてみてください!

実際に2025年3月に、シェムリアップからサンボー・プレイ・クックと大プリア・カンの2か所を日帰りで観光してきました。超ハードスケジュール(計13時間超)でしたが、ボリューム満点で楽しかったです!
大プリア・カン及び周辺の見どころ
それでは、ここから実際に大プリア・カンの見どころをご紹介していきます。
実物は写真以上に迫力があって美しいです!僻地にあるため、なかなかアクセスが困難な遺跡ですが、ぜひ実際に足を運んでその魅力を感じてみてくださいね。
特徴的な設計
大プリア・カンは、その独特な配置と壮大なスケールで知られています。特に注目すべきは以下の3点です。
- アンコール遺跡群の多くは東を正面にするのが一般的ですが、大プリア・カンは北東向きに建てられています。この方角に向けられた理由は明確には分かっていません。アンコール王朝の中でも珍しい配置であり、他の遺跡とは一線を画すユニークな特徴です。
- 大プリア・カンのもう一つのユニークな特徴が、外周壁を串刺しするように配置された巨大な貯水池(バライ)です。通常、アンコール遺跡の貯水池は周囲に配置されることが多いのですが、大プリア・カンでは外壁を突き抜ける形でバライが造られています。
- この遺跡は、アンコール・ワットの約5倍もの広大な面積を誇ります。そのスケールの大きさは、単なる寺院ではなく、かつてここがアンコール王朝の地方都城として機能していた証でもあります。広大な敷地内には、密林に覆われた寺院群や要塞のような構造が点在し、遺跡全体が一つの都市のような造りになっています。

プリア・チャトモク
プリア・チャトモクは、貯水池(バライ)の西端にある巨大な仏陀立像です。1938年にフランス人保存官によってその存在が報告されました。
彫像の高さは約9.5メートル、東西南北の四方をそれぞれ向いています。アンコールの地から遠く離れた大プリア・カン地方において、大乗仏教が深く浸透していたこと示す証拠とも言える貴重な彫像です。

下から見上げると、より一層神々しさが感じられます!当時の人々も、下から見上げながら礼拝をしていたそうです

プリア・ストゥン
プリア・ストゥンは、貯水池(バライ)の西端にある遺跡で、中央本殿の参道の延長線上にあります。その名は「聖水のほとりの寺院」という意味を持ちます。
祠堂上部にある四面仏が特徴的で、これは当時すでにこの地に大乗仏教が浸透していたことを示す手がかりとなっています。バイヨン寺院の四面仏よりは小さめで、表情の雰囲気もやや異なります。アンコール・ワット様式とバイヨン様式の過渡期にあたる様式だと言われています。

中央本殿に向かう途中で必ず目にする遺跡です。足場が悪いので、遠くから外観を眺めるだけでも良いかもしれません
プリア・トコル
プリア・トコルはバライ(貯水池)の中央に位置する仏教寺院で、「メボン寺院」とも呼ばれます。非常に美しいガルーダ像が残っていることで有名です。建築年代は12世紀末から13世紀初頭と推測されています。雨季は道が悪くなってしまうので、訪問するなら乾季がベストです。
プリア・ダムレイ
プリア・ダムレイはバライ(貯水池)の南東岸に位置する寺院で、十二段の基壇がピラミッド状に積み上げられた構造になっています。「ダムレイ」はクメール語で「象」という意味で、寺院には象の彫像が残っています。
大プリア・カン(中央本殿)
ここからご紹介するのが、大プリア・カンの主要な部分です。
一辺約4.8kmの大周壁に囲まれた都城のほぼ中央に位置します。中央本殿は0.85km×1.3kmの中周壁に囲まれており、さらにその中に小周壁に囲まれた本殿内陣があります。

2025年3月に実際に訪問してきました!正面(北東側)から順に見ていきましょう
東参道
まずは正面入り口にあたる東参道に到着です。ここに車を停めて、徒歩で見学していきます。ちなみにトイレも東参道の入り口にありました。
下の写真では水が無い状態ですが、当時は環濠に水が溜まっていました。アンコール・ワットやアンコール・トムの環濠と同じような状態だったと考えられます。

ここでぜひ注目していただきたいのが、欄干の端に設置されているガルーダとナーガの彫像です。ナーガの上にガルーダが乗ったモチーフは他の遺跡でも目にすることがあります。
どちらもヒンドゥー教に登場する神鳥と蛇神ですが、これ自体は大乗仏教独特のモチーフで、当時この地に大乗仏教が広く浸透していたことを示していると考えられます。

また、大乗仏教では、「対立するものの調和」や「異なる力の統合」が重要なテーマとされます。
ナーガ(地や水の象徴)とガルーダ(空や天の象徴)が一つの構図の中に共存していることは、相反する存在が調和し、仏法のもとで共生する理想的な世界観を表しているのかもしれませんね。

また、ぜひ参道の側面に刻まれた立派なハンサ(白鳥)の彫刻にも注目してください。
ハンサ(Hamsa)は、インド神話や仏教、ヒンドゥー教に登場する神聖な白鳥またはガチョウのような鳥です。アンコール遺跡群においても、このハンサのモチーフを見ることができます。
インド神話では、ハンサは水と乳を分けて飲む能力を持つとされています。これは「真実と偽りを見極める力」の象徴とされ、仏教においても智慧の象徴として扱われます。また、ヒンドゥー教では、創造神ブラフマーの乗り物として描かれることが多く、神聖な知識や霊的な純粋さも表しています。


ダルマサーラ(灯明の家)
中周壁の東塔門を抜けて進んでいくと、右手側に小振りの石造りの建造物が見えてきます。
これは「ダルマサーラ(Dharmaśāla、灯明の家)」と呼ばれるもので、アンコール王朝時代に建設された巡礼者や旅人のための宿泊施設兼礼拝所です。
特に12世紀末〜13世紀初頭、ジャヤヴァルマン7世の治世に多く建設されました。アンコール王朝の広大な道路網に沿って点在し、仏教的な要素を持ちながらも、実用的な役割を果たしていたと考えられています。
「ダルマサーラ」という名称自体が「法(ダルマ)の家」という意味を持ち、仏像や仏教的な装飾が施されたものもあることから、単なる宿泊施設ではなく、信仰の場としての機能も果たしていたと考えられます。

シェムリアップにある「タ・プローム寺院」などにも同様のものが残っています

碑文経蔵
ダルマサーラのちょうど向かい側にあるのが碑文経蔵です。かつて、ここからスールヤヴァルマン1世への賛辞が刻まれた碑文が発見されました。現時点では、それが唯一の碑文資料だとされています。

空中参道
本殿内陣に近づいていくと、砂岩で組まれた空中参道が見えてきます。
崩壊している箇所が多く、足場が不安定なので、歩く際は十分に気をつけてください。こうした空中参道の構造は、バプーオン寺院やチャウ・サイ・テヴォーダ寺院などでも採用されています。


ぜひ空中参道の側面に描かれたバラモン僧のレリーフにも注目してみてください。

東塔門
大プリア・カンの中でも特に見応えがあるのが、この小周壁の東塔門です。

崩れた石積みに絡みつく無数の木の根が、塔門全体を包み込むように広がっている姿はまさに圧巻!
長い年月をかけて成長した木々は、石の隙間に根を張り、まるで遺跡と一体化したかのような景観を作り出しています。この光景は、かつて繁栄した王朝の歴史を物語るとともに、時の流れと無常を感じさせます。
静寂の中に漂う神秘的な雰囲気と、自然と遺跡が織りなす独特の美しさは、大プリア・カンを訪れる際の大きな見どころのひとつです!


聖池と窪地
テラス部分には4つの小池の跡が残っています。このほかにも中央本殿内陣には大小の池水跡が残っており、柱穴跡も確認されています。どうやら高貴な人々の高床式住宅や僧坊が存在していたようです。

中央祠堂とその周辺
中央祠堂は崩壊している箇所が多いため、内部に入っていくことは困難です。基本的に周りを歩いて見学する形となります。
前述の通り、大プリア・カンは盗掘等の被害が深刻で、目ぼしいレリーフや彫像はほとんど残っていません。また意図的に破壊が行われた箇所は、砂岩が無惨にも細かく砕け散った状態となっています。

大プリア・カンの中央祠堂は、現在ほとんどが崩壊しており、かつての壮大な姿をとどめる部分は限られています。
しかし、ところどころに原型を保った祠堂が残っており、当時の建築様式をうかがい知ることができます。特に、一部に残る精巧なレリーフは、当時の彫工たちの卓越した技量を示しており、細部にまで施された装飾からは、アンコール王朝の艶麗な美術様式が感じられます。

崩れゆく遺跡の中にも、歴史の息吹と芸術の輝きが今なお息づいていますね





大プリア・カン遺跡|まとめ
大プリア・カンは、アンコール王朝の壮大な歴史を今に伝える貴重な遺跡です。
シェムリアップからのアクセスは決して容易ではありませんが、その分、観光客が少なく、手付かずの美しさが残っています。崩れかけた祠堂や絡みつく木の根、静寂に包まれた神秘的な空間は、まるで時間が止まったかのような印象を与えます。
ただし、道中の道路状況が悪く、遺跡内も足場が不安定なため、安全には十分注意が必要です。特に単独での訪問は避け、経験豊富なガイドとともに訪れることをおすすめします。

手つかずの遺跡に足を踏み入れ、アンコール王朝が築いた壮大な歴史を肌で感じてみてはいかがでしょうか?
カンボジアの穴場観光地を探している方や、本物の冒険を求める方にこそ訪れてほしい、大プリア・カンの魅力を詳しくご紹介します!