世界遺産アンコール・ワットと言えば、言わずと知れたカンボジアの代名詞的存在! カンボジアの国旗にもその姿は描かれ、多くの旅人を魅了しています。
アンコール・ワットは、12世紀前半にスールヤヴァルマン2世によって建てられたヒンドゥー教寺院です。ヒンドゥー教三大神の中のヴィシュヌ神に捧げられました。
現在は仏教寺院として信仰を集めており、「世界三大仏教寺院」の一つに数えられるほど。圧倒的なスケールと存在感を持ち合わせています。
Klook.comアンコール・ワットってどんな遺跡なの?
まずはアンコール・ワットの簡単な歴史や宗教についてご紹介。
遺跡観光は、歴史を知っているとさらに楽しめます!
12世紀に建立されたヒンドゥー教寺院
アンコール・ワットは、12世紀初頭に創建されたヒンドゥー教寺院です。「アンコール」とはサンスクリット語で「王都」、「ワット」は「寺」を意味します。
王と神は一体化したものであるという「デーヴァラージャ(転輪聖王)」という思想に基づき、アンコール・ワットでは降臨したヴィシュヌ神と王が一体となるための儀式も行われていました。高さ65mの中央祠堂は神々の住まうメール山(須弥山)、周囲の回廊は雄大なヒマラヤ山脈、環濠は広大な海原を象徴しています。
アンコール・ワットの造営には、6万人近い作業員が従事し、30年以上もの歳月が費やされたと言われています。当時のアンコール王朝は血縁による世襲制ではなかったため、新たに王位に就くには自ら実力を示す必要がありました。
スールヤヴァルマン2世も同じく、自身の実力と栄華を広く知らしめるためにアンコール・ワットの創建に着手したと考えられます。
ヴィシュヌ神に帰依したスールヤヴァルマン2世
王朝18代目の王であるスールヤヴァルマン2世は、ヒンドゥー教の三大神の中のヴィシュヌ神を信仰していました。そのため、既存のシヴァ派の寺院を使用せず、即位後に新しい寺院を建設することを決意します。それがアンコール・ワットです。
当時はヴィシュヌ派が優勢となっていたため、アンコール・ワットの第一回廊東側の壁面には、乳海攪拌を行うヴィシュヌ神の姿が大きく描かれています。アンコール・ワットの中でも特に見応えのあるスポットです。
また、アンコール・ワットは寺院であると同時に、スールヤヴァルマン2世を埋葬した墳墓でもあると言われています。王と神を一体化した存在として考える「デーヴァラージャ思想」の影響です。
一説によると、王の墳墓であるため、アンコール・ワットは西向きに建設されたと言われています。西側はヴィシュヌ神の司る方角でもあり、死を象徴する方角でもありました。
森林に埋もれていたアンコール・ワットの再発見
アンコール王朝が栄華を誇っていたのは9世紀初頭から約600年の期間でした。
その後はシャム(現在のタイ)の侵攻により、王都を放棄せざるを得ず、遷都を繰り返さなければなりませんでした。アンコールの地の石造寺院は次々と密林に飲み込まれ、遠い過去の存在になっていきました。
1860年、フランス人博物学者のアンリ・ムオがアンコール・ワットを「発見」したことにより、状況が大きく変わります。アンリ・ムオは検分の結果、この石像大伽藍を高度な文明によるものと見抜き、世界に向けてアンコール・ワットを紹介しました。
その結果、世界中の研究者たちの注目を集め、アンコールの地に眠る遺跡の発掘や研究が進みました。痛ましい内戦により一時は中断を余儀なくされましたが、現在もアンコール王朝の謎を解き明かすべく研究や調査が進められています。
アンコール・ワットへの行き方
「森の中の遺跡」というイメージもありますが、アンコール・ワットはシェムリアップの街の中心部からはそれほど離れていません。トゥクトゥクや車なら片道20分程度で着くことができます。
中には、自分たちで自転車やバイクを借りて観光するお客さんもいます。 体力的に問題ないなら、選択肢の一つとしてはアリですね!
朝日鑑賞の際の注意点
アンコール・ワットと言えば、朝日鑑賞もとても人気です!
中央祠堂の後ろから昇ってくる朝日を拝もうと、多くの観光客が訪れます。特に春分の日と秋分の日は、ちょうど中央塔の真後ろから朝日が昇るタイミングであり、一年の中でも特に貴重な日です。
聖池に映った「逆さアンコール・ワット」の写真を収めようと、多くの人が日の出前からベストスポットを探して集まってきます!
さて、そんなアンコール・ワットの朝日鑑賞の際には、いくつか気を付けておきたい点があります。当日スムーズに朝日鑑賞に向かうためにも、事前に準備をしておきましょう。
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ガイド付きツアーがおすすめ!
カンボジアの遺跡を観光するなら、ガイド付きのツアーが断然おすすめです!
特にアンコール・ワットは敷地が広く、見どころも多いため、案内してくれるガイドさんが一緒だと効率的に移動することができます。
また、ヒンドゥー教の逸話や当時の歴史などの背景知識があると、より一層深く堪能することができるので、ぜひガイド付きツアーを利用してみてください。カンボジアには日本語で対応できる現地ガイドさんがたくさんいます!
プロのガイドさんたちは「撮影スポット」も熟知しているので、記念写真もバッチリ! カンボジアのガイドさんたちは政府公認なので安心ですね。
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アンコール・ワット観光のポイントを解説!
ここからはアンコール・ワット全体をいくつかのパートに分けてご紹介していきます。
ぜひ全体の中の大まかな位置を把握しながら読んでみてくださいね。
広大な寺院の全体像を把握
アンコール・ワットの敷地はとても広大で、じっくり鑑賞するとそれだけで半日は過ぎてしまいそうな程です。観光の時間が限られている場合は、ポイントを絞って周ると良いと思います!
西参道の入り口から中心部のエリアまでの数百メートルは日陰がほとんどありません。帽子などをかぶって、水分補給もこまめに行いましょう!
現世と神の世界を隔てる環濠
訪問者がまず目にするのが、寺院を取り囲む巨大な環濠です。
長さは、東西1.5km・南北1.3kmもあり、これだけでもスケールの大きさに圧倒されてしまいます。重機もなかった時代に、人力で造られたとは思えないほどです!
この環濠は、神々の世界と現世を隔てる大海を象徴しており、欄干のナーガはそれらを結ぶ架け橋としての役割を果たしています。
つまり、ここからが「神々の世界」への入り口ということですね!
環濠の幅は約190mあり、前に進むにつれて徐々にアンコール・ワットの5基の尖塔の姿が見えなくなっていきます。この設計は意図的なものであり、アンコール・ワットの神秘性と威厳を演出する仕掛けの一つです。
晴れた日には、参道からの眺めも素敵なので、ぜひじっくりとその景色を味わってくださいね。参道の真ん中にはテラスが設置されています。
環濠に架けられた参道は、上智大学アンコール遺跡国際調査団による修復工事が長い間続いていましたが、2023年11月に終了し、ようやく観光ができるようになりました!。
工事中の期間、隣に設置された浮き橋も引き続き利用が可能です(2023年11月現在)。このアングルでしか撮影できない構図もあるので、ぜひ途中の景色を楽しんでください!
西側から参拝するのが定番ですが、裏参道(東側)から訪問するルートもあります。入り口から本殿までの距離が短く、静かな雰囲気が味わえるので、こちらもオススメです。
美しいデヴァター像が集う中央西塔門
環濠を渡ると、目の前に中央西塔門が現れます。中央の入り口は王のためのものであり、その両脇は臣下たちの門、さらに段差のない両脇の門は象や牛車が利用していたと言われています。
ついつい先を急いで進みたくなりますが、ちょっとストップ!
この西塔門には美しいデヴァター像やリンテル(まぐさ石)がたくさん残っており、ひじょうに見応えのあるエリアです。特に南側・内側の壁面には保存状態の良いデヴァター像がずらりと並んでいます。
ついつい見落としがちなスポットですが、ぜひこちらもお忘れなく! 帰りにチェックしてみるのも良いかもしれませんね
また、西塔門の南側には巨大なヴィシュヌ神像が祀られています。その高さは約4mほどあり、迫力感だけでなく包容力も感じさせる不思議な雰囲気です。線香などを供えて参拝する現地の人々の姿を見かけることも珍しくありません。
こちらのヴィシュヌ神像は、創建時にもともと中央祠堂で祀られていたのではないかとする説があります。アンコール・ワットの数ある謎の一つです!
また、西塔門の入り口部分から覗くアンコール・ワットの尖塔の姿もチェック! 中央から覗くとちょうど正面に3つの尖塔が見えるようになっています。
アンコール・ワットの神秘性と壮大さを演出する巨大な仕掛けの一つです。ちょうど入り口が額縁のようになるように設計されたと言われています。
人気の撮影スポット!参道と聖地
中央西塔門を抜けたら、いよいよアンコール・ワットの尖塔とご対面!
本堂に向かって参道がまっすぐ続いています。一歩進むたびに、3つの回廊に囲まれた尖塔の大きさを実感するはずです。
西塔門から本殿までの参道は約350mほど。途中には7箇所のテラスが設置されています。
アンコール・ワットは、ほかの遺跡と異なり「西向き」に建てられているため、午前中は逆光になりがち。この西参道でベストショットを狙うなら、午後の時間帯がオススメですよ。
参道の両側には「経蔵」がそれぞれ建てられています。
装飾自体は本殿と比べて質素ですが、時間に余裕があればぜひこちらもチェックしてみてください。窓枠をフレームに見立てて、写真を撮るのもオススメです!
そして、参道の両側には2つの聖池もそれぞれ配置されています。水面に映る「逆さアンコール・ワット」や朝日鑑賞など、撮影スポットとして人気が高いです。
以前は北側(正面から見て左側)の聖池が定番でしたが、現在は柵で囲まれていて、少し撮影が難しくなりました。
一方で、南側(正面から見て右側)の聖池は柵がなく、低いアングルからでも撮影が可能です! かつては干上がった状態でしたが、現在では北側と同様に水が溜まった状態になっています。
定番の人気スポットなので、ぜひ参道から下りて水面に映るアンコール・ワットの様子を眺めてみてくださいね!
本殿への入り口となる十字テラス
本殿への入り口となるのが、十字型をしたこちらのテラスです。正面に設置されている木製の階段を上っていくと、少しずつ視界が変わり、第一回廊へと続く入り口が見えてきます。
ぜひここで一度振り返って、今まで歩いてきた参道を眺めてみてください。
地面よりもやや高い位置から見下ろすと、参道を軸として経堂や聖池が対称的に配置されていることをより実感することができます。アンコール・ワットを設計した人々が、いかに建物の配置や高さを意識していたのかが伝わってきますね。
絵巻物のような壮大なギャラリー!第一回廊
アンコール・ワットの見どころの一つが、壁面に刻まれた壮大なレリーフ!
反時計回りに進みながら鑑賞することで、まるで絵巻物のようにストーリーを楽しむことができます。一般的には、西側の南翼から始めて、ぐるっと一周して戻ってくる道順となります。第一回廊の長さは東西215m、南北187mです。
今回は各壁面の主なハイライトをご紹介! それぞれの細かいレリーフについては、第一回廊についてまとめた記事をご覧ください
西面のレリーフ
西面には古代インドの叙事詩をモチーフにした浮き彫りが描かれています。
南側が『マハーバーラタ』、北側が『ラーマーヤナ』を主題にしたものです。どちらも戦闘シーンが描かれており、躍動感あふれる白熱した様子が伝わってきます。
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かつてある国で2つの一族が王権をめぐって争いを続けていました。アルジュナを中心とした光の一族であるパーンダヴァ軍(5人の王子)とドゥリヨーダナを中心とした闇の一族カウラヴァ軍(100人の王子)による戦いは大戦争へと発展していきます。
戦いの10日目、両軍の長老かつ大戦士であったビーシュマが無数の矢に射抜かれて命を落としてしまいました。ビーシュマは息を引き取る直前にパーンダヴァ軍の勝利を予言します。
ついに迎えた最終決戦の場、ヴィシュヌ神が姿を現しました。ヴィシュヌ神は両軍に手助けをすることを決めます。パーンダヴァ軍はヴィシュヌ神自身を求め、カウラヴァ軍はヴィシュヌ神の持つ軍隊を求めました。ヴィシュヌ神は、自身の化身の一つであるクリシュナとして戦に身を投じ、アルジュナを導く役割を果たします。
18日間にもわたる戦いの末、戦いはパーンダヴァ軍の勝利に終わりました。
コーサラ国王の長男である王子ラーマは、美しいシータ姫を妻に迎えます。しかし、継母の陰謀によりラーマ王子は王位を奪われ、シータ姫と異母弟のラクシュマナと一緒に森で隠遁生活をすることになりました。
3人は森の中で静かに暮らしていましたが、ある日ランカ島の魔王ラーヴァナにシータ姫を奪われてしまいます。ラーマ王子は神猿ハヌマーンたちの力を借り、シータ姫奪還のためにランカ島に向かいました。ラーマ王子一行は、様々な困難を乗り越え、最終的にラーヴァナを倒し、シータ姫をようやく取り返します。
ところが、ラーマ王子は、ラーヴァナの側に長い間身を置いていたシータ姫の貞操を疑い、妻として受け入れることを拒みました。そこで、シータ姫は自身の潔白を証明するために、自ら炎の中に飛び込みました。火の神アグニがシータ姫に加護を与え、身の潔白を証明したため、シータ姫は無事にラーマ王子の元に帰ることができました。
王国に戻ったラーマ王子は国民たちから歓迎され、国王として即位します。シータとの間にクシャとラヴァの2子をもうけました。
*『ラーマーヤナ』の内容は地域や時代によって異なる部分があり、原典の最初と最後の巻は後世に追加されたものとする説もあります。また、訳本によって登場人物名に表記揺れがある場合もあります
南西角のレリーフ
第一回廊の西面と南面が連結する角にあたるスペースにも、見事な浮き彫りが残っています。やや暗くて見づらい部分もありますが、ぜひ上を見上げて探して見てください。
こちらの魔王ラーヴァナ(写真上)とカーマ神(写真下)のレリーフは同様のものがバンテアイ・スレイの破風にも描かれています。同じモチーフを比較してみるのも面白いですね!
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当時、1人目の妻サティを亡くしたばかりのシヴァ神はヒマラヤ山で苦行に打ち込んでいました。
しかし、他の神々はサティの生まれ変わりであるパールヴァティとシヴァを結婚させようと画策し、カーマ神をシヴァ神のもとに送り込むことにしました。カーマの矢は砂糖で作られていて、この矢で射られると恋心を抱くようになると言われているのです。
見事1本目の矢を命中させたカーマでしたが、残念なことにシヴァ神に焼き殺されてしまいました。上の写真で横たわっているのは、シヴァ神に殺された後のカーマの姿です。カーマの妻であるラティに抱き抱えられています。
夫の死を嘆き悲しんだラティがパールヴァティに頼んで、カーマを復活させることができました。
南面のレリーフ
南面の壁面には「スールヤヴァルマン2世の行軍」と「天国と地獄」の2つのモチーフが描かれています。スールヤヴァルマン2世は、アンコール・ワットを創建した王です。
壁面の一部には赤色の装飾が今もかすかに残っています。当時はさぞ鮮やかな壁面だったにちがいありません。王の姿は金箔に覆われていたとする逸話も残っています。
王の容貌に着目! 王はヴィシュヌ神と一体化した存在と考えられていたため、両者の尊顔はとてもよく似ています
「天国と地獄」では、当時の人々の死生観がよく表れています。これらのレリーフは、アンコール・ワットが王の墳墓であることを裏付ける理由の一つです。
レリーフの冒頭は3段に分割されており、上から「極楽界」「裁きを待つ者たちの現世」「地獄」を描いています。死者を裁く役割を担っているのが「冥界の王」であるヤマです。日本では閻魔大王と呼ばれています。
地獄行きが決まった人々は、さまざまな責苦を受けることになります。火責めや串刺し、全身を釘で打たれる人の姿……。驚くほど細やかに描写された地獄の姿には、当時の人々の地獄への恐れが込められているのかもしれません。
東面のレリーフ
東面南側には、50mにもわたって「乳海攪拌」が描かれています。「乳海攪拌」とはヒンドゥー教における天地創世神話です。
マンダラ山に大蛇ヴァースキを巻きつけ、両側から神々と阿修羅が引っ張りあって、大海をかき混ぜています。中央で采配を振るっているのがヴィシュヌ神です。
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太古の昔、神々と阿修羅族は不老不死の妙薬「アムリタ」を巡って壮絶な争いを繰り広げていました。しかし、双方ともに戦いに疲弊してしまい、ヴィシュヌ神に助けを求めます。するとヴィシュヌ神は「互いに協力して海をかき混ぜれば、アムリタを得ることができる」と告げました。
神々と阿修羅はヴィシュヌ神に従い、協力することを決めました。軸棒であるマンダラ山にヴァースキ(大蛇)を巻きつけ、クールマ(亀)で軸棒の底を支えて、頭と尾の両端を綱引きのように引っ張ります。神々は尾の方を、阿修羅族は頭の方を持つことになりました。ヴァースキは口から猛毒を吐き出すため、世界は崩壊の危機を迎えましたが、シヴァ神が猛毒を飲み込んだため、世界は救われました。
攪拌を続けること1000年、しだいに海からさまざまなものが誕生し始めます。良質なバターであるギー、ヴィシュヌ神の妻となるラクシュミー、アプサラ(水の精)、ソーマ(酒)、太陽、月などが生まれ、最終的にはアムリタを持ったダンヴァンタリ神も現れました。
アシュラ族は何とかしてアムリタを奪おうとしましたが、ラクシュミーに化けたヴィシュヌ神に騙され、アムリタを奪われてしまいます。結局、神々だけでアムリタを飲んでしまい、アシュラ族は不老不死を得ることはできませんでした。
「乳海攪拌」の様子を描いたレリーフや彫像が、カンボジアの遺跡の至る所に存在しています。ぜひ探してみてくださいね!
ヴァースキの頭側を阿修羅(92体)が、尾側を神々(88体)が持っています。神々の最後尾にいるのは、『ラーマーヤナ』にも登場する猿神ハヌマーンです。
ちなみに、ヴァースキはあまりの苦しさに途中で猛毒ハーラーハラを吐き出し、世界を滅ぼしかけたという言い伝えも残っています。
また、東面北側にはヴィシュヌ神と阿修羅の戦いの様子が描かれています。こちらは16世紀ごろに加えられたレリーフで、明らかにそれまでの作風と異なります。やや彫りが浅く、これまでのレリーフと比較すると、ちょっと魅力に欠けるかもしれませんね。
北面のレリーフ
こちらも東面北側と同様に、後世になってから描き加えられたレリーフです。そのため他の壁面と比べると、構図やタッチに微妙な差があります。
北面東側に描かれているのがクリシュナと阿修羅の戦い、北面西側に描かれているのが他の神々と阿修羅の戦いの様子です。左から右に進んでいくと、所々で主要な神々などが登場するのでぜひチェックしてみてください!
北西角のレリーフ
この北西角にも見応えのあるレリーフが揃っています。上側はやや暗く、欠損している箇所もありますが、ぜひゆっくりと観察してみてください。
ぜひチェックしていただきたいのが月の神チャンドラと太陽の神スーリヤが縦に並んだレリーフ(写真下)です。それぞれの背後には月や太陽を象徴するような円盤が描かれており、正面を向いた2頭の馬が車を引いています。カンボジアの遺跡の中でもひじょうに珍しい構図です。
また、『ラーマーヤナ』の有名なシーンも描かれています。シータ姫が身の潔白を証明するために、炎の中に身を投じる場面です。
残念ながらシータ姫の姿は欠けてしまっていますが、燃え盛る炎の一部と、シータ姫の左側にいるラーマ王子の姿は確認することができます。
ほかにも北西角の壁面には『ラーマーヤナ』に関連したレリーフがたくさん彫られています。ぜひチェックしてみてください!
沐浴の池として使われた十字回廊
第一回廊と第二回廊を結ぶ、十字型の回廊です。
ここには4つの沐浴池の跡があり、当時は水が貯められていたと考えられています。王や高僧が身を清めるために使われていたとする説もありますが、当時の王朝の治水技術をアピールする目的もあったようです。
農業経済を基盤とするアンコール王朝において、「治水」はひじょうに重要なポイントになっていました。雨季の洪水と乾季の旱魃をいかに制御するのか、王の手腕が問われます。アンコール・ワットに限った話ではなく、多くの寺院は「水」と密接な関係がありました。
十字回廊には繊細で美しい透かし彫りがあります。こうした細部にまで装飾が施されていることから、当時この場所がいかに神聖視されていたかが伝わってきますね。
十字回廊は風雨にさらされる機会が少なかったため、一部の天井や列柱には朱色の彩色が残っています。一説によると、金箔が貼られていた箇所もあったそうです。
十字回廊には、江戸時代にアンコール・ワットを訪れた日本人による墨書が残っています。
下の写真は、1632年に平戸藩士・森本右近太夫一房が残した落書きです。後に何者かが消そうとした痕跡が残っていますが、今は歴史資料の一つとして保存されています。
実は森本右近太夫一房の墨書は、十字回廊だけでなく第一回廊の内側にある北経蔵の柱にも残されています。ぜひこちらもチェックしてみてください
森本右近太夫一房だけでなく、島野兼了という長崎の通訳士も徳川第3代将軍家光の命によりアンコール・ワットを訪れていました。
本来目的としていたのはインドの祇園精舎だったのですが、あまりに壮麗なアンコール・ワットの姿を目にして、祇園精舎だと思い込んでしまったというエピソードが残っています。
十字回廊の南側にはたくさんの仏像が並び、中央には立仏像が祀られています。
ここではお坊さんが座っていて、占いをしたり、聖水をかけてお祓いをしてくれたりします(額は決まっていませんが、見料を渡します)。中央の立仏像にお参りをする現地の方も多いです。
通訳の方が同行してくれるなら、お願いしてみるのも貴重な経験になるかもしれませんね!
十字回廊のエリアには、129体のデヴァター像が並んでいます。一体ごとに髪型や装飾、表情などが異なっていて、見ている人を飽きさせません。
一部のデヴァター像の表面には磨かれたような光沢があります。「多くの人が触り続けたから」とする説もありますが、一方で「もともと漆が塗られていたから」とする説もあるそうです。アンコール・ワットの謎の一つ!
また、デヴァター像だけでなく、入り口上部(破風)のレリーフにもぜひ注目してみてください。下の写真のように特徴的なレリーフが刻まれています。
十字回廊の中央には、正方形の石が敷かれています(下の写真)。ここを中心として、十字型の回廊はそれぞれ東西南北の軸を正確に示しています。当時の測量技術の高さに驚かされますね。
ぜひ皆さんも十字回廊を訪れたら、試しにコンパスを床に置いてみてください!
200体以上のデヴァターによる美の競演!第二回廊
第二回廊は1周すると約430mの距離。
回廊の内部はシンプルな造りで装飾がほとんどありませんが、ぜひ第三回廊側の外壁に注目してください!
ここには587体もの個性豊かなデヴァター像が並んでいます。どれひとつとして同じデザインのものはなく、当時の職人たちの創作意欲とこだわりが感じられますね。
デヴァターたちの姿は、当時の女官などを参考にしたと考えられており、当時のファッションなどを知る手掛かりの一つにもなっています。
創建された時代によって、デヴァターの意匠が異なるので、ぜひ他の遺跡と比較しながら鑑賞を楽しんでください。
サロン(腰巻きのスカート)の柄まではっきりと残っています。巻き方や腰飾りも微妙に違うのがオシャレですね! ぜひ自分のお気に入りのデヴァターを探してみてください
第三回廊へと続く木製階段の近くには、横を向くデヴァター像が描かれています。少し恥じらうかのように首を傾げた姿が魅力的です。ぜひ探してみてくださいね。
神々の住まう須弥山を模した第三回廊
ここからいよいよアンコール・ワット観光のクライマックス! かつては王のみが許された第三回廊へと足を踏み入れていきます。
第三回廊は一辺が約52mの正方形で、高さ65mの中央祠堂を囲むように4つの副祠堂が回廊の隅に配置されています。
この中央祠堂は、古代インド思想に登場する「須弥山(メール山)」を象徴するもので、王と神が一体化する神聖な場所であると考えられてきました。
第三回廊に向かう石階段はとても急であり、現在は使用することができません。訪問客は東側にある木製の補助階段を使って第三回廊に向かいます。
第三回廊へのアクセスに限っては、係員の入場チェックが必要です。
第三回廊に到着したら、まずは頂上からの眺めを楽しんでください!
シェムリアップの建物には高さ制限が設けられていて、アンコール・ワットの第三回廊よりも高い建物が存在しません。
まっすぐと続く西参道もはっきりと確認することができます。かつては王しか見ることのできなかった景色だと思うと感慨深いですね。
ぜひ第三回廊の装飾にも目を向けてみましょう。中央祠堂に施された精緻な彫刻も肉眼で確認することができます。
かつてはこの中央祠堂にヴィシュヌ神像が祀られていたと言われていますが、現在でもその所在は判明していません。これもアンコール・ワットの謎の一つです。
約400年前の宗教改革により、仏陀が祀られるようになりました。かつてはヒンドゥー教の寺院として創建されたアンコール・ワットですが、現在では「世界三大仏教寺院」の一つとして数えられています。
第三回廊の内部には、特に美しいデヴァター像が描かれています。
指先まで繊細に表現されたデヴァター像は美術的にも評価が高く、一見の価値アリです! 頂上に辿り着いた人しか目にすることのできない、貴重なデヴァター像となっています。
アンコール・ワットまとめ
カンボジアを代表する世界遺産「アンコール・ワット」についてご紹介してきました!
実物は写真以上に迫力があるので、ぜひ人生で一度は訪れてみてください。訪れる時間帯によって雰囲気が異なるので、チケットの有効日数に余裕がある人は複数回に分けて観光するのもオススメです。
実はアンコール・ワットの魅力はまだまだたくさん!今回ご紹介しきれなかった分は、別の記事で改めてまとめていきたいと思います。
ぜひガイドブックで予習したり、ガイド付きツアーに申し込んだりして、アンコール・ワット観光を満喫してください!
オプショナルツアーが便利
「一度は行ってみたい!」と憧れている人も多いはず! 今回はそんなアンコール・ワットの魅力と歴史をご紹介します