バンテアイ・サムレは、12世紀前半に建てられたヒンドゥー教の寺院です。その名は「サムレ族の砦」を意味し、まるで要塞のような重厚な雰囲気を醸し出しています。
シェムリアップの街の郊外にある遺跡で、訪問する人は少なく、どちらかと言うと「通好み」なスポットです。破風に彫られたレリーフは、数あるアンコール遺跡群の中でも特に美しく、見応え抜群!
アンコール・ワットと同じ時期に造られたため、建築様式には共通点が多く、バンテアイ・サムレ遺跡は「小アンコール・ワット」と呼ばれることもあります。
バンテアイ・サムレってどんな遺跡?
まずは、バンテアイ・サムレがどのような遺跡なのか基本情報を確認しておきましょう。
- 遺跡の名前の意味
- スールヤヴァルマン2世が創建
遺跡の名前の意味
バンテアイ・サムレの「バンテアイ」とは、「要塞/砦」という意味です。ほかにもバンテアイ・スレイやバンテアイ・クデイなど、同じように「バンテアイ」を冠した名前の遺跡があります。
「サムレ」は、「サムレ族(サムラエ族)」のことを意味しています。サムレ族はかつてこの地に住んでいた民族です。入墨を施し、勇猛な人々だったと言われています。
カンボジアの遺跡は、装飾が華やかで優美な印象のものが多いのですが、それらの中でもバンテアイ・サムレはやや異質な存在です。「要塞」という名前にふさわしく、外側は堅牢で無骨な印象を与える造りをしています。
一方で、周壁の中に足を踏み入れると、建物のあらゆる箇所に精緻な彫刻が施されており、外側とは対照的な印象を与えます。このギャップがとてもおもしろいですね! 砂岩がやや黒っぽいので落ち着いた雰囲気もある、重厚な遺跡です。
Klook.comスールヤヴァルマン2世が創建
バンテアイ・サムレを創建したのは、スールヤヴァルマン2世です。もしくは、当時の王に使えていた高官が建設したとする説もあります。
スールヤヴァルマン2世がアンコール・ワットの造営に着手した後、バンテアイ・サムレの建設も開始されました。完成したのは12世紀中頃と言われています。
スールヤヴァルマン2世といえば、アンコール・ワットの第一回廊にその姿が大きく描かれていますね!
バンテアイ・サムレは、アンコール・ワットとほぼ同じ時期に建設されたため、建築様式には共通点もとても多いです。たとえば、中央の尖塔の形がとてもよく似ています。
そのため、バンテアイ・サムレは「小アンコール・ワット」と呼ばれることもあります。
また、回廊のつくりなどはバイヨン寺院と共通する部分もあり、様式が変化する過程を知る手掛かりにもなります。このようにバンテアイ・サムレは、ほかの遺跡と比較しながら鑑賞すると、とても見応えのある遺跡です。
同時期に造られたトマノンやチャウ・サイ・テヴォーダ遺跡と同様に、祠堂と拝殿を連結させている手法も興味深いです。
バンテアイ・サムレまでの行き方
街からトゥクトゥクで約45分
バンテアイ・サムレは東バライと呼ばれる旧貯水池の東側に位置する遺跡です。街から北東方面に20kmの位置にあり、トゥクトゥクや車で40分前後かかります。
中心部の遺跡からはやや離れた位置にあるので、訪れる観光客はそれほど多くありません。じっくり遺跡を堪能したい方にぴったりな「通好み」のスポットです。
セットで訪問したい遺跡
セットで訪問するなら、バンテアイ・スレイ遺跡がおすすめ!
バンテアイ・スレイ遺跡は、「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しいデヴァター像や華やかな装飾が見どころです。ぜひバンテアイ・サムレのレリーフと比較しながら鑑賞を楽しんでみてください。
また、バンテアイ・サムレ観光の行き帰りに、プレ・ループやプラサット・クラヴァンに立ち寄ることもできます。それぞれ特徴のある遺跡なので、いろいろなタイプの遺跡を楽しみたい方にはおすすめのコースです。
スケジュールに余裕があれば、バンテアイ・サムレの近くにあるプラダック村(Preah Dak)に立ち寄るのもおすすめです。手作りのパームシュガーを買うことができます。
ここにはカンボジア内戦で命を落としたカメラマン、一ノ瀬泰造さんのお墓があります。「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画のモデルになった方です。ぜひ映画もチェックしてみてくださいね。
バンテアイ・サムレの見どころ
要塞のように堅牢な周壁
バンテアイ・サムレは、ラテライトの丈夫な周壁で囲まれています。
この第一周壁はもっとも高い箇所で6mもあり、まさに「バンテアイ=要塞・砦」という名前にふさわしく、重厚な雰囲気の造りとなっています。
第一周壁は、東西が87m、南北が81mで、ほぼ正方形に近い形です。東西南北にそれぞれ門が設けられていて、正面は東門となっています。
駐車場は遺跡の北側にあるので、北門から見学することが多いです
彫深い精巧なレリーフ
バンテアイ・サムレの見どころは、精巧で凝ったデザインの破風のレリーフです! ヒンドゥー教の神話をモチーフにしたものが多く、躍動感のある姿で神々が描かれています。
バンテアイ・サムレの破風は、高い位置にあるものが多いので、肉眼ではあまりよく見えません。見学の際は、双眼鏡などがあると便利です。足元に十分注意しながら、ぜひ目線を上に向けて見学してみてください!
破風/ペディメント
ラーマ王子と魔王ラーヴァナの戦い
右下部で、複数の顔を持ち、戦車に乗っているのが魔王ラーヴァナです。ラーマ王子のレリーフは残念ながら欠けてしまっています。
2人の阿修羅を倒すクリシュナ
上部中央にいるのがクリシュナです。両脇にいる2人の阿修羅と戦う姿が描かれています。写真では少し見づらいのですが、その下にいる女性は歯を見せて笑っています。下段の男性には髭らしきものが生えていて、とてもユニークです。
孔雀に乗ったスカンダ
破風の最上部には孔雀に乗ったスカンダが描かれています。スカンダとは、シヴァ神の息子で、ヒンドゥー教における軍神とされています。(*ヒンドゥー教の神々は乗り物で判別することが多いのですが、ガチョウに乗ったヴァルナの可能性もあります)
アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神
北東の経蔵には、アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神が描かれています。また、ヴィシュヌ神の臍から生えた蓮の花からブラフマー神が生まれています。これはプリア・カン遺跡やクバール・スピアン遺跡でも見かけるモチーフです。
太陽の神スーリヤと月の神チャンドラ
アンコール遺跡群の中では珍しい、太陽の神と月の神が並んで描かれています。ヒンドゥー教の創世神話「乳海攪拌」の際に、不死の妙薬アムリタを飲み込んでしまった阿修羅を太陽の神と月の神が発見したときの場面です。この神々はアンコール・ワットの壁面にも登場します。
踊っているアプサラと楽団
中央で2人のアプサラたちが踊っている姿が描かれています。右側には竪琴を奏でているアプサラもいて、優雅な一場面です。
削り取られた仏陀の姿
バンテアイ・サムレはヒンドゥー教の寺院ですが、一部には仏陀の姿も描かれていたと考えられています。しかし、残念ながら廃仏毀釈運動の影響により、それらの箇所は削り取られてしまいました。
まぐさ石/リンテル
まぐさ石に施された彫刻も、デザインが細かくとても美しいです。現在は欠けてしまっている箇所が多いですが、完成当時はさぞ華やかだったにちがいありません。
下の写真は、祠堂内部の入り口上部のレリーフです。破損している部分もありますが、一体ずつとても丁寧に彫られていますね。
付柱/ピラスター
バンテアイ・サムレは、付柱(祠堂の入り口を飾る柱)の装飾もバラエティ豊かで、ひじょうに見応えがあります。ぜひ各柱の下部に着目してみてください。
神話をモチーフにしたようなデザインもあり、とてもユニークです
偽扉や壁面など
中央祠堂の北・西・南側に設置された偽扉も美しいです。
偽扉はどのような意図で造られたのか明確に判明していませんが、本来の東側の入り口に特別な意味を持たせるためのものだと考える説もあります。
祠堂の内側に施されたレリーフも繊細で美しいです。まるで薄いヴェールを纏っているようですね。こうした些細な部分まで手が加えられている点から、当時の人々の意識の高さが窺えます。
制作途中のデヴァター像
バンテアイ・サムレは、破風やまぐさ石には精巧なレリーフが残っていますが、他の遺跡でよく見かけるデヴァター像はほとんど存在していません。
中央祠堂の南東側には、下書き状態のデヴァター像が残っています。制作途中で何らかの理由により放置されてしまったようです。
制作途中のデヴァター像はアンコール・ワットにも残っていますが、このようにアウトラインの状態だけで残っているのは珍しいですね。
アンコール・ワット様式の連子窓
バンテアイ・サムレとアンコール・ワットの共通点はいくつかあり、その一つが連子窓のデザインです。テラス付きの回廊は、内側にだけ窓が開放されています。
二層で造られた連子窓はとても美しく、その隙間から遺跡を眺めるのもまた情緒があります。珍しいタイプの窓が残っているので、ぜひこちらもチェックしてみてくださいね。
中央に設置された石台
中央祠堂に続く拝殿には、方形の石の台が置かれています。
これは死者の灰を流すために使われていたそうです。プレ・ループにも同様に、死者の灰を流したとされる場所があります。
排水口にはカーラの彫刻が施されているので、ぜひそちらもチェックしてみてください。
カーラはヤーマと呼ばれることもあるヒンドゥー教の神で、時間の神または死者の王であると言われています。日本では閻魔大王と呼ばれる存在です。
「甘いキュウリの王」の伝説
バンテアイ・サムレには、サムレ族にまつわる「甘いキュウリの王」の伝説が残っています。
Klook.com昔あるところに、サムレ族のバウという農民がいました。ある日バウは森の中で瞑想する隠者に出会い、キュウリの種をもらいました。
村に戻ったバウが種をまくと、とても甘くて美味しいキュウリが実りました。バウのキュウリの評判は王の耳にも入り、キュウリをたいそう気に入った王は、そのキュウリを自分にだけ献上するように命令しました。また、キュウリを独り占めするため、畑に入った泥棒はすべて殺すようにバウに命じ、槍を授けました。
しばらくして雨季になり、キュウリの収穫が減るようになりました。王はどうしてもキュウリが食べたくて耐えきれず、ついに自らバウの畑に忍び込みます。ところが皮肉なことに、王の命令に従ったバウの手によって、王はキュウリ泥棒として殺されてしまったのです。
王の死後、神である白象が後継者を選ぶことになりました。白象が次の王に選んだのは農民のバウです。即位したバウは、バンテアイ・サムレを造りました。
しかし、前王に仕えていた高官たちは新王であるバウに従わなかったため、バウは彼らを処刑しました。このことを知った隠者は呪いをかけ、 以後アンコールの地が都として栄えないようにしたと言われています。
バンテアイ・サムレ遺跡のまとめ
今回はシェムリアップの郊外にある遺跡「バンテアイ・サムレ」をご紹介しました!
ややマイナーな遺跡ではありますが、破風などのレリーフが大変見事で、チャンスがあればぜひ足を伸ばしていただきたい遺跡です。
バンテアイ・スレイなどに向かう道中にあるので、ぜひ他の遺跡とセットでスケジュールを組んでみてください。
*王に使えていた高官が建てたとする説もあります