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バンテアイ・クデイ遺跡 [Banteay Kdei] アンコールの謎に迫る世紀の大発見!

バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei) 遺跡は、12世紀末にジャヤヴァルマン7世によって建設された仏教寺院です。その名は「僧侶の砦」を意味しています。

2001年に日本の発掘チームによって、大量の仏像などが発見されたことにより、世界的な注目を集めた遺跡でもあります。アンコール王朝の歴史の謎に迫るまさに世紀の大発見でした!

CN編集部

バンテアイ・クデイは、小回りコースに含まれる遺跡の一つです。市内からのアクセスも良く、訪れやすい立地にあります。

バンテアイ・クデイってどんな遺跡?

まずは、バンテアイ・クデイがどのような遺跡なのか、基本情報を確認しましょう。

2001年、バンテアイ・クデイ遺跡では上智大学の「アンコール遺跡国際調査団」とカンボジア王立芸術大学の学生による発掘調査が行われ、274体もの仏像が境内から発掘され、世界的な大ニュースになりました。

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ジャヤヴァルマン7世により再建された僧院

現在バンテアイ・クデイがある場所には、もともと「クデイ」と呼ばれる小さなヒンドゥー教寺院がありました。これは10世紀にラージェンドラヴァルマン2世によって建てられたものです。しかし、次の王が即位してからは、ほとんど放置された状態だったと考えられています。

時は流れて12世紀末。チャンパ軍を打ち破り、王として即位したジャヤヴァルマン7世は、荒廃した状態の「クデイ」の改修に着手します。当時、アンコール都城はチャンパ軍との戦いにより、深刻な痛手を受けている状況でした。

ジャヤヴァルマン7世の彫像

そうした中、ジャヤヴァルマン7世は国内の復興に尽力し、かつての王が建設した寺院の修復や再建にも精力的に取り組んだと言われています。「バンテアイ・クデイ」もその一つであり、ジャヤヴァルマン7世の手腕によって、新たに仏教寺院として祀られるようになりました。

CN編集部

ジャヤヴァルマン7世は、アンコール王朝の歴史の中でも最も偉大な英雄として語り継がれています。チャンパ軍からアンコールの地を奪還し、国内を繁栄へと導いていきました!

バンテアイ・クデイの基本情報
  • 時代:12世紀末
  • 宗教:大乗仏教
  • 建設した王:ジャヤヴァルマン7世
    *もともと存在していた寺院を増改築
  • 建築様式:バイヨン様式
  • 寺院形態:平地型
  • 見学時間の目安:1時間

ジャヤヴァルマン7世ってどんな人物?

バンテアイ・クデイ遺跡

迷路のように入り組んだ複雑な遺跡

バンテアイ・クデイは、度重なる増改築を繰り返した結果、迷路のように複雑な構造になりました。ヒンドゥー教から仏教寺院へと改宗された際にも、大掛かりな設計変更が行われたと言われています。

もともとは中央祠堂が独立して建っている状態でしたが、第二回廊と連結するための通路が追加され、構造がどんどん複雑になっていきました。

CN編集部

見学中もうっかり現在地が分からなくなるので、ときどき方角を確認しながら進んでみてくださいね。コンパスやスマホが使えると便利ですよ!

バンテアイ・クデイ遺跡

バンテアイ・クデイは、もともと使用された砂岩の質があまり良くなかったため、崩壊が進んでいる箇所があります。木材で補強されている部分などには触れないように注意しましょう!

「アンコール遺跡国際調査団」による世紀の大発見!

2001年、バンテアイ・クデイ遺跡では上智大学の「アンコール遺跡国際調査団」とカンボジア王立芸術大学の学生たちによる発掘調査が行われていました。

その際、偶然にも274体もの仏像が境内から発掘され、世界的な大ニュースとなりました。出土した仏像は大乗仏教のもので、10世紀から13世紀頃に奉納されたものだと言われています。しかも、発見された仏像は首のあたりで頭部が切り離された状態になっていました。

CN編集部

これだけの数の仏像が発見されることは例がなく、まさに「世紀の大発見」とも言える大ニュースでした!

banteay kdei temple
十字テラスの手前北側で発見された

「なぜ大量の仏像が埋められていたのか?」「なぜ仏像の首が打ち砕かれていたのか?」という疑問は大きな話題を呼び、アンコール王朝の歴史の謎を紐解く重要な鍵となりました。

実はこれには、シヴァ派教徒による「廃仏毀釈はいぶつきしゃく」運動が大きく関係しています。

1181年に即位し、アンコール王朝を繁栄へと導いたジャヤヴァルマン7世は敬虔な仏教徒であり、在位期間に多くの仏教寺院を創建しました。ジャヤヴァルマン7世の治下では、大乗仏教が優遇されていたと考えられています。一方で、他宗派やヒンドゥー教を迫害するものではありませんでした。

シハヌーク・イオン博物館
遺跡で発掘された仏像

7世王の逝去後に即位したインドラヴァルマン2世も、仏教徒もしくは仏教を容認する王であったと言われています。ところが、その次に即位したジャヤヴァルマン8世はシヴァ神を篤信していたため、新王の後ろ盾であるシヴァ派の勢力が増していき、過激な反仏教運動へとつながっていきました。

その結果、大量の仏像が埋められることになりましたが(廃仏毀釈はいぶつきしゃく)、バンテアイ・クデイで発見された仏像はいずれも丁寧に埋没されたものであったことが分かっています。たしかに仏像の首の部分は打ち砕かれていましたが、ぞんざいに扱われた形跡はありませんでした。

また、約800年間も地中に埋められていたため、良好な状態の仏像が多いです。発掘された仏像の多くはシェムリアップ市内にあるシハヌーク・イオン博物館[英語サイト]で展示されています。興味のある方はぜひバンテアイ・クデイ遺跡とセットで訪れてみてくださいね!

シハヌーク・イオン博物館についてはこちら!

バンテアイ・クデイ遺跡

バンテアイ・クデイ遺跡までの行き方

アンコール・トムの東側に位置するバンテアイ・クデイは、シェムリアップの中心部(オールドマーケット付近)からは車で25分ほどです。

比較的近い位置にある遺跡なので、自転車で観光する人にとっても、気軽に訪れやすい場所だと思います。自分のペースでのんびりと遺跡巡りをするのも良いですね!

バンテアイ・クデイの塔門
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小回りコースの一部

バンテアイ・クデイは、単体で訪れるよりも「小回りコース」の一部として訪問することが多い場所です。スラ・スランの向かい側にあるので、ぜひセットで見学してみてください。

それほど混雑する遺跡ではありませんが、午前中の早い時間帯の方が比較的空いています。ゆっくり見学したい方は、早めの時間帯がおすすめです!

CN編集部

静かな森の中でゆっくり遺跡を見学すると、最高の時間が過ごせますよ!まるで別世界に迷い込んだみたいな感覚です

バンテアイ・クデイ遺跡

スラ・スラン遺跡とセット観光がオススメ!

バンテアイ・クデイの見どころ!

バンテアイ・クデイの見どころは次のとおりです。

  • 「十字テラス」のシンハ像
  • アプサラの浮き彫りが見事な「踊り子のテラス」
  • シッダールタ王子とヤショーダラ姫を描いた破風
  • 個性豊かな表情のデヴァター像
  • 今も人々の信仰を集める仏像
  • 遺跡に絡みつく巨大な榕樹

「十字テラス」のシンハ像

東側の入り口から正面に進んでいくと「十字テラス」と呼ばれるエリアがあります。

シンハ(獅子)像が入り口を守護しており、その後ろにはナーガの欄干が続きます。カンボジアの遺跡の入り口ではよく見かけるセットです。

CN編集部

写真を撮るのにもオススメのスポット!ぜひ観光客が少ない時間帯を狙って、カメラに収めてみてください。

バンテアイ・クデイ遺跡

アプサラの浮き彫りが見事な「踊り子のテラス」

バンテアイ・クデイには、「踊り子のテラス(A Hall of Dancers)」と呼ばれるエリアがあります。これは、同じくジャヤヴァルマン7世によって建てられた「プリア・カン」と同様の構造です。

それぞれの柱には、「アプサラ」と呼ばれる水の精たちの舞う姿が繊細に描かれています。バンテアイ・クデイを訪れるなら必見のポイントです!

バンテアイ・クデイ遺跡

軽やかに舞うアプサラの姿は、カンボジアの伝統芸能である「アプサラダンス」の由来にもなっています。

シッダールタ王子とヤショーダラ姫を描いた破風

バンテアイ・クデイは崩壊している箇所が多いのですが、一部の破風には見事な浮き彫りが残っています。

東楼門の破風の中央に描かれているのは、シッダールタ王子(後の仏陀)とヤショーダラ姫です。父王により開催された競技会の場面を描いています。この競技会でシッダールタ王子は優勝を飾り、ヤショーダラ姫を妻に迎えることになりました。シッダールタ王子は競技会で使った弓を携えています。

バンテアイ・クデイ遺跡
東楼門の破風

インドの叙事詩「ラーマーヤナ」におけるラーマ王子とシータ姫の結婚式の様子であると考える説もあるそうです。バンテアイ・クデイは、もともとヒンドゥー教寺院だったものが大乗仏教に改宗されたものなので、時代によって変化したのかもしれませんね。

個性豊かな表情のデヴァター像

バンテアイ・クデイには、柱や壁面のさまざまな所に美しいデヴァター(女神)の姿が描かれています。表情やスタイルなどがそれぞれ異なっていて、個性豊かなデザインが特徴です。

バンテアイ・クデイ遺跡

大きな耳飾りをつけ、涼やかな目元をしたデヴァター(下写真)は特に美しく、苔や微生物などで緑に色づいた姿は趣深いです。ぜひ皆さんも、お気に入りのデヴァター像を探してみてくださいね!

バンテアイ・クデイ遺跡
北側の経蔵付近には見事なデヴァター像が多い

今も人々の信仰を集める仏像

「十字テラス」を進んだ先の東楼門の中には、後世に設置されたと思われる仏像が鎮座しています。今も参拝する人がいるので、仏像前には線香などが備えられています。

かつてのカンボジアは大乗仏教を信仰していましたが、現在は上座部仏教を信仰する人々がほとんどです。しかし、信奉する宗派は違えど、遺跡は今もカンボジアの人々の心の拠り所であり、神聖な場所であることは変わりません。

CN編集部

カンボジアの人々にとって、遺跡が今も大切な場所であることが伝わってきますね!訪問の際にはマナーにも十分気をつけましょう。

バンテアイ・クデイ遺跡
東楼門に鎮座する仏像

遺跡に絡みつく巨大な榕樹

「タ・プローム」や「プリア・カン」などの遺跡と同様に、バンテアイ・クデイも遺跡の一部が巨大な榕樹(スポアン)に覆われています。自然のパワーを感じさせる姿ですね!

アンコール王朝が衰退したあと、バンテアイ・クデイ遺跡は数世紀に渡り放置されたままの状態でした。熱帯雨林の植物に覆われた状態でしたが、1920年から1922年にかけて植物の除去が行われ、その姿を再び現すようになりました。

バンテアイ・クデイ遺跡

バンテアイ・クデイ遺跡のポイントまとめ

バンテアイ・クデイは、「タ・プローム」や「プリア・カン」などの人気スポットと比較すると、その規模は小さめですが、2001年の世紀の大発見により一躍注目を集めた遺跡です!

観光客の数も少なめで(団体客はほぼ見かけません)じっくり鑑賞するのにぴったりな遺跡なので、ぜひ小回りコースで訪れてみてください。

歴史に関して少しでも知識があると、さらに楽しめる場所だと思います!ガイドブックを参考にしたり、詳しいガイドさんと一緒に訪問したりするのがオススメです。

バンテアイ・クデイ遺跡の見どころ
  • 日本の発掘チームによる世紀の大発見が行われた貴重な遺跡
  • 優雅にアプサラたちが舞う「踊り子のテラス」
  • 表情豊かでユニークな姿のデヴァター像
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