カンボジアには、シェムリアップ(アンコールの地)を中心に数多くの遺跡が残っています。
パッと見ただけだと、どれも似たように感じるかもしれませんが、実は時代や様式によって色々な特徴を持っています。
数日間の滞在でたくさんの遺跡を巡ると「どれも同じ石の建築に見える……」と退屈になりがちですが、それぞれの遺跡の背景や建築に関する知識を持っていると、また別の角度から楽しむことができるようになります!
「もっとカンボジアの遺跡について知りたい!」という方は、ぜひこちらの記事に加えて、書籍なども参考にしてみてくださいね。
時代別に見る寺院形態の変化
カンボジアを中心に残っている遺跡は、その形態からいくつかのタイプに分類することができます。例外的なものを除けば、寺院の形態から大まかな時代を把握することが可能です。
Klook.com〜10世紀前半ごろ
単一または複数の祠堂が並ぶ形式
アンコール王朝が始まったのは9世紀初頭(802年)と言われています。
そこから10世紀前半ごろに至るまでは、小型の祠堂を1つまたは複数並べる形態のものが多く存在しました。もっともシンプルな形式は単祠堂タイプです。
複数の祠堂を並べて配置するタイプも存在します。
3つの祠堂を横並びにした形はトリムールティ(三神一体)を象徴したものと考えられます。ヒンドゥー教の三大神である「創造の神ブラフマー」「維持の神ヴィシュヌ」「破壊の神シヴァ」にそれぞれ捧げられました。
プラサット・クラヴァンのように5つの祠堂が横並びになっているタイプも存在します。
中央の3つはトリムールティを象徴しており、両脇の祠堂はそれぞれ「ラクシュミー(ヴィシュヌの神妃」と「ウマ(シヴァの神妃)」に捧げられました。なぜかブラフマー神の妻であるサラスヴァティは登場しません。
遺跡の中には、二列に祠堂が並ぶ形式のものもあります。
下の写真のプリア・コー寺院は、前列の3つが王の祖先に捧げられたもので、後列はそれぞれ配偶者(妻)たちに捧げられたものだと言われています。
このように小型の祠堂をいろいろなパターンで並べる形式が同時期に併存していました。
ピラミッド型/山岳型
もうひとつの主要なタイプは「ピラミッド型」と呼ばれるものです。
神々の住む聖なる須弥山(メール山)を模したものだと考えられています。神と一体化した存在である王は、寺院の中心で様々な儀式を執り行いました。
いくつもの基壇を積み重ね、頂部に祠堂を設置する形式になっています。9世紀末に創建されたバコン寺院の場合は、一番上の基壇に祠堂が1つ建てられました。
時代が進むにつれて、祠堂のレイアウトが少しずつ変化していきます。
961年に創建されたプレ・ループは、一番上の基壇に5つの祠堂が置かれています。大きな中央祠堂を取り囲むように、四隅に副祠堂が建てられました。
10世紀後半ごろ〜
10世紀後半ごろになると、拝殿(Mandapa)が登場しました。拝殿とは、中央祠堂に連結された建造物を指します。参拝者はここで拝礼したり、経典を読んだりしました。
967年に創建されたバンテアイ・スレイは、その代表例です。アンコール・ワット時代にもいくつかの寺院に拝殿が設置されましたが、バンテアイ・スレイとは中央祠堂の形式に相違点が見られます。
10世紀末〜
10世紀末以降、ピラミッド型寺院の形式が発展していきます。
特徴の一つは回廊の登場です。回廊とは、建物の周囲に巡らされた長い歩廊を意味します。屋根がついた回廊が登場することで、寺院のレイアウトはさらに複雑化していきました。
タ・ケウ寺院は未完成の状態となっていますが、アンコール建築の変遷を辿る上で、ひじょうに重要な意味を持つ建造物と言えます。当時の人々の試行錯誤の跡が伺える遺跡です。
もう一つの特徴は、十字型の祠堂が登場した点です。タ・ケウ以前の寺院では、基本的に祠堂は正方形の形をしており、入り口は1つのみでした。
タ・ケウ寺院では、中央祠堂の四面に前室が付随していて、真上から見ると十字型になっています。また、四面すべてに入り口が設置されている点も特徴的です。こうした十字型の祠堂は、後の時代の標準となっていきました。
Klook.com12世紀前半ごろ〜
12世紀前半にアンコール・ワットが創建されました。
五点形(Quincunx)で配置された祠堂を取り囲むように3つの回廊が巡らされています。複雑に入り組んでいながら、ほぼ左右対称の美しい構造は、まさにピラミッド型寺院の極致とも言える存在です。
第一回廊と第二回廊の間に存在する、十字回廊と呼ばれる構造も特徴的です。同じような構造はベンメリア遺跡でも見ることができます。十字回廊は、後のジャヤヴァルマン7世の時代に登場する「踊り子のホール(Halls of Dancers)」の前身となったとも考えられています。
12世紀末ごろ〜
12世紀末ごろ、ジャヤヴァルマン7世(1181-1218/1220年?)の登場により、遺跡のレイアウトは大きく変化します。
ジャヤヴァルマン7世は、タ・プロームやプリア・カンなど多くの平地型寺院を創建しました。ピラミッド型寺院のように基壇を積み重ねることはせず、すべての建造物が地上に建てられています。
現在は崩れてしまっている箇所が多いですが、それぞれの建造物が回廊で複雑に繋がり、空白を埋めるかのように設計されています。
また、ジャヤヴァルマン7世以前の建築においては、五点形(Quincunx)で配置することが基準となっていましたが、ジャヤヴァルマン7世の平地型寺院では東西軸・南北軸を基準にした配置となっている点も変化の一つです。
バイヨン寺院は、ジャヤヴァルマン7世が手がけた建築の中でも例外的な存在です。バイヨン寺院は「環状ピラミッド型」とも呼べる特殊な構造をしています。
中央祠堂に8つの祠堂が環状に付随しており、屋蓋(屋根部分)に刻まれた尊顔が満遍なく周囲を見渡すような形になっています。さらにその外側には東西南北に4つの副祠堂が配置されています。
このように「1(中央祠堂)+8+4」の構造で祠堂を配置する点も、ジャヤヴァルマン7世の時代の建築の特徴の一つです。
当時の遺跡はどんな姿だった?
現在わたしたちが目にする遺跡の姿は、砂岩などが剥き出しの状態ですが、当時はもっとカラフルで鮮やかな姿をしていたと考えられています。
カンボジアの現代寺院や王宮などは、彩色が施されていて華やかな印象のものが多いですよね。当時の寺院も似たような姿だったのかもしれません
残念ながら、現在は彩色のほとんどが剥げ落ちてしまっていますが、遺跡の一部にその痕跡が残っています。下の写真のデヴァターの耳や鼻辺りに残っている白色は、化粧しっくい(スタッコ)の一部です。
化粧しっくい(Stucco)とは、壁などの表面仕上げや装飾などに使われる建築資材。伝統的な化粧しっくいは、石灰・砂・水などを混ぜて作ります。
また、アンコール・ワットの十字回廊には鮮やかな赤色の装飾が残っています。雨風に晒されにくい位置だったため、何百年もの歳月を経ても残ったようです。
当時はさぞ煌びやかな空間だったにちがいありません。
また、寺院の一部では金箔も使用されていたと考えられています。場所によっては、宝石などがはめ込まれていたようです。
当時の光り輝く寺院の姿を想像しながら鑑賞するのも楽しそうですね!
当時の遺跡の姿を復元
遺跡建築に関するキーワード
ここからは、遺跡を鑑賞する上で知っていると役立つ建築キーワードをご紹介。全体の構造だけでなく、細部にも着目すると遺跡観光がさらに楽しくなります!
破風(Pediment)
破風とは、広義で屋根の妻側(棟の端)の部分を指します。下の写真の三角で囲まれた部分が破風です。
神話の場面などが描かれることが多く、遺跡の中でも特に見応えのある部分です。時代によって意匠が変化していくのも興味深い点です。
まぐさ石(Lintel)
まぐさ石は、入り口の上部に付けられた長方形の石を指します。多くの場合、カーラや象などに乗った神が中央に描かれ、そこから両脇に蔦が伸びていくスタイルになっています。
いくつかの遺跡では、保存状態の良いまぐさ石が今も残っています。破風とセットでぜひ着目したいポイントです!
付柱(Pilaster)
付柱は、入り口の両脇にある少し外側に突き出ている部分です。細やかな装飾が施されており、下部には神話の一部などが描かれていることがあります。
側柱・柱廊(Colonnette)
側柱は、まぐさ石を支えている円形の柱です。断面が八角形になっているものもあります。植物のモチーフや修行僧などが細かく刻まれています。
脇柱(Door Jamb)
脇柱は、ドアの枠にあたる部分です。ここには碑文が刻まれることがあります。
碑文には、寄進の記録や祖先を崇拝する内容などが刻まれているそうです。こうした碑文を解析することにより、寺院の創建年代や王の名前などが明らかになります。
欄干(Balustrade)
欄干とは、橋や建物の縁側などに設置された柵状の部分です。遺跡では、ナーガと呼ばれる蛇神がモチーフとしてよく採用されています。
欄干の先頭にあるのは、ナーガの頭です。下の写真ではガルーダと一緒に登場しています。ナーガの欄干は人間の世界と神々の世界を繋ぐ役割を担っていると考えられていました。
単なる「手すり」ではなく、神聖なナーガ像の一部なので、腰掛けて座ったり登ったりしないようにしましょう。崩れる可能性もあるので危険です。
手摺子(Balusters)
手摺子とは、欄干を支える柱の部分です(下の写真で白い矢印が示している箇所)。
格子窓(Baluster Window)
格子窓は、カンボジアの遺跡でよく見かける特徴的なパーツです。手作業とは思えないほど、均一に揃った円形の柱が見事なシルエットを生み出しています。
隙間から朝日や夕日が差し込む姿はひじょうに幻想的。アンコール・ワットの第二回廊は、装飾自体は少なめですが、美しい格子窓が残っています。
偽扉(False Door)
10世紀末ごろまで、祠堂の入り口は基本的に1つのみで、残りの面には偽の扉が設置されていました。設置の目的は定かではありませんが、隙間を埋めるほどの精緻な装飾が前面に施されています。
偽窓(False Window/Blind Window)
壁面に施された窓のような装飾を偽窓と呼びます。建築的に窓を設置することが難しい(もしくは手間がかかる)箇所に、本物の窓の代替として設置されたと考えられます。
メダリオン(Medalion)
ジャヤヴァルマン7世が創建した寺院の壁面に彫られている円形の装飾です。円の中央には、さまざまな動物や人物が描かれています。
タ・プローム寺院のメダリオンには、恐竜らしき生き物が描かれており、一つの謎に数えられています。ぜひタ・プローム寺院を訪れたら探してみてくださいね!
環濠(Moat)
アンコール王朝において、灌漑を行うための治水はとても重要な課題とされていました。
また、古代インドの思想の影響を色濃く受けていたため、水の存在は宗教的にも大きな意味を持っていました。寺院の環濠は、須弥山を中心とした神々の世界を取り囲む大海を象徴しています。
遺跡で主に用いられた建材
カンボジアの遺跡は、主に「レンガ・砂岩・ラテライト」を材料として建てられました。ここでは簡単にそれぞれの建材の特徴を見ていきましょう。
レンガ
前アンコール期から王朝初期においては、祠堂の大部分がレンガで建てられていました。レンガを使用している遺跡は、年代的に古いものであることが多いです。装飾が必要な箇所は、砂岩なども併用されています。
砂岩
砂岩はアンコールの遺跡の多くで使用されています。比較的柔らかいので、切断や彫刻などの加工が施しやすい石です。
多くの砂岩は、下の写真の左側のような色をしていますが、バンテアイ・スレイ寺院では赤っぽい特徴的な砂岩が使用されました。バンテアイ・スレイで使用された砂岩は質も高く、「アンコールの宝石」と呼ばれるほど見事な装飾を生み出しました。
ラテライト
ラテライトは、鉄やアルミニウムなどを主成分とする赤色の土壌です。「ラトソル」や「ラトゾル」、「紅土」と呼ばれることもあります。
切り出した際は、粘土のように柔らかく加工が容易ですが、空気にさらされて乾燥すると急激に固くなる点が特徴です。装飾には向きませんが、周壁や基壇などに多用されました。
木材
主要な材料ではありませんが、遺跡では補助的に木材も用いられていました。しかし、石に比べて経年劣化が激しいため、現存しているものはほとんどありません。
また、寺院とは別に、王宮などでは木材が主に用いられていました。神に捧げる寺院には石を使い、人間が利用する建物には木材を使う、という形で明確に区別されていたようです。そのため、アンコール・トム内には、王宮跡が残っていますが、建物自体は消失してしまっています。
カンボジアの遺跡知識|まとめ
カンボジアの遺跡観光を楽しむためのヒントとなるような豆知識をご紹介しました!
実際に遺跡を訪れた際は、ぜひ今回ご紹介したような建築的ポイントにも着目してみてください。遺跡に対する解像度がアップすると、より観光が楽しめるはずです。
今回の内容は簡単にまとめたものになっているので、さらに詳しく知りたい方は書籍等を参考にしていただければと思います。
ここでは時代ごとに大まかな寺院形態の変遷を辿っていきましょう!