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プリア・カン遺跡 [Preah Khan] – 古代ギリシャ風の建造物と巨大ガルーダ像

プリア・カン遺跡は、1191年にジャヤヴァルマン7世が創建した仏教寺院です。現在は「大回りコース」と呼ばれる見学コースの一部に含まれています。

プリア・カンという名前は「聖なる剣」を意味しており、王がチャンパ軍との戦いに勝利したことを記念して、王の父の菩提寺として建てられました

プリア・カン遺跡の見どころは、ギリシャ神殿風の二階建ての建物です。また、周壁に刻まれた巨大なガルーダ像もプリア・カンならではの見学ポイントになっています。

CN編集部

ほかにも遺跡に絡まる大樹や、13人の踊り子のレリーフなど見どころがたくさん! タ・プロームと並んで完成度の高い遺跡です

プリア・カンってどんな遺跡?

まずは、プリア・カンがどのような遺跡なのか、基本情報を確認しましょう。

  • 約10万人が暮らした仏教大学
  • 王の父を弔うための菩提寺
  • 寺院設計に隠された規則性

約10万人が暮らした仏教大学だった

プリア・カン [Preah Khan] は、ジャヤヴァルマン7世がチャンパ軍に勝利した記念に1191年に創建された仏教寺院です。ここは当時の戦で主戦場だった場所と言われています。

プリア・カンは僧侶たちが過ごす僧院であっただけでなく、僧侶を養成するための大学のような場所でもありました。碑文の記録によると、高僧から見習い僧まで含めて1000人以上の僧侶たちがいたそうです。

Preah Khan

さらに、多くの僧侶たちに食糧を供給するための荘園もあり、プリア・カン寺院は1つの村としても機能していました。真偽の程は定かではありませんが、10万人近い人々が暮らしていたと記録されています。

王の父を弔うための菩提寺

プリア・カンは、ジャヤヴァルマン7世の父を弔うための菩提寺でもありました。

かつてプリア・カンの中央祠堂に安置されていた観世音菩薩(ボディサットヴァ・ロケシュヴァラ)像は、ジャヤヴァルマン7世の父親を模した姿をしていたと言われています。

残念ながら、今は仏像はなく、代わりに16世紀に造られたストゥーパ(仏塔)が据えられています。

ジャヤヴァルマン7世

また、プリア・カンには仏像だけでなくヒンドゥー教の神々も祀られていました。本殿の西側にはヴィシュヌ神、北側にはシヴァ神の祠堂があります。

それだけでなく、その土地の守護精霊なども含めて、境内には数百に及ぶ神仏像が祀られていたと考えられています。

プリア・カンとタ・プロームの比較
  • プリア・カン [Preah Khan]
    チャンパ軍に勝利したことを記念して1191年に建てられた、ジャヤヴァルマン7世の父の菩提寺。その名は「聖なる剣」を意味する
  • タ・プローム [Ta Prohm]
    1186年に建てられた、ジャヤヴァルマン7世の母の菩提寺。その名は「焚天の古老」を意味する

ほぼ同じ時期に、同じ王によって建立された寺院であるため、構造やデザインには共通している部分が多いです

寺院設計に隠された規則性

プリア・カン遺跡は、外側を堀に囲まれています。堀の大きさは、東西935m・南北755mです。そのほぼ中心にあたる位置に3層の周壁に囲まれた寺院があります。

Preah Khan

実はこのプリア・カンの設計には、とある規則性が隠れています。一番内側の第一回廊の幅は約55mで、この長さを基準にしてさまざまな部分の寸法が決められていたようです。

  • 第三回廊の幅は165m(55の3倍)、長さは220m(55の4倍)
  • 第四回廊の幅は660m(55の12倍)
  • 副祠堂の幅は27.5m(55の半分)
  • 入り口から東塔門までの長さは165m(55の3倍)
  • 堀の東西の長さは935m(55の17倍)

これらは偶然の一致ではなく、古代インドの建築法に則ったものだったと考えられます。祠堂の大きさを基準にして、各建築物の寸法を正確に定めていたことがわかります。

CN編集部

これらの設計と建築を可能にした当時のアンコール王朝の技術力の高さに驚かされますね!

プリア・カン基本情報
  • 時代:12世紀(1191年)
  • 建設した王:ジャヤヴァルマン7世
  • 宗教:仏教(観世音菩薩)
    *後にヒンドゥー教寺院として改宗
  • 建築様式:バイヨン様式
  • 寺院形態:平地型
  • 見学時間の目安:1時間〜1時間30分

プリア・カン遺跡へのアクセス

プリア・カンは大回りコースに含まれる遺跡のひとつです。

他の遺跡と合わせて訪れるのがよいでしょう。

大回りコースの見どころの1つ!

プリア・カン遺跡は、「大回りコース」と呼ばれるグループの中の1つです。「大回りコース」は、どちらかと言えば観光客が少なめなので、ゆっくり見学したい方にオススメのコースと言えます。

大回りコースの遺跡
大回りコースの主要な遺跡

プリア・カン遺跡は、シェムリアップの中心部からだと、車またはトゥクトゥクで25〜30分ほどで到着することができます。単体で訪問するよりも、上記の「大回りコース」をセットで見学することが多いです。

特にプリア・カンの付属寺院と考えられているニャック・ポアン遺跡は超必見! ジャヤタターカと呼ばれる人工貯水池の中央にある寺院は、アンコール遺跡群の中でも独特の魅力があります。

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遺跡の名前は、カタカナの場合「表記揺れ」することがあります。プリア・カン遺跡(Preah Khan)の場合、プリヤ・カンプリヤ・カーンとも表記されます。

プリア・カンの見学ルート

プリア・カン遺跡の本来の正面は東側ですが、現在は西側(まれに北側)から見学することが多いです。つまり、本来の裏側の参道から見学する形になります。

CN編集部

午前中は逆光になるので写真を撮るときは、方向に少し気をつけましょう

おすすめは、東側からスタートする見学ルートです。ドライバーさんに東側の入り口で降ろしてもらって、西側の入り口で待っていてもらうようにお願いしてみましょう!

Preah Khan

プリア・カン遺跡の見どころ

リンガを模した砂岩彫刻が並ぶ参道

本来の入り口は遺跡の東側です。その背後には「ジャヤタターカ」と呼ばれる人工の貯水池があります。かつて王や側近たちはここから船に乗っていたようです。当時利用されていたラテライトの船着場が、木製の台の下に残っています。

入り口から中央に向かって進む途中、参道の両脇にリンガ(シヴァ神の象徴)を模した砂岩彫刻が並んでいます。

下部にはガルーダが上部を支えるように描かれ、かつて上部には仏陀の姿が描かれていました。残念ながら、ジャヤヴァルマン7世の没後に起きた廃仏毀釈はいぶつきしゃく運動」によって、仏教モチーフはすべて削り取られてしまっています。

実は1箇所だけ、廃仏毀釈を免れた仏像が残っています。入り口から見て右手奥側にあるので、ぜひ探してみてくださいね!

Preah Khan

「廃仏毀釈」とは、シヴァ派によって行われた反仏教運動のことです。

ジャヤヴァルマン7世の治下では大乗仏教が優勢となっており、7世の逝去後に即位したインドラヴァルマン2世(ジャヤヴァルマン7世の息子)も、仏教徒もしくは仏教を容認する王であったと言われています。

ところが、その次に即位したジャヤヴァルマン8世はシヴァ神を篤信していたため、新王の後ろ盾であるシヴァ派の勢力が増していき、過激な反仏教運動へとつながっていきました。

ジャヤヴァルマン8世の時代には、寺院の壁面に刻まれた仏像が削り取られたり、打ち砕かれたりしました。バンテアイ・クデイ遺跡からは頭部が切り離された大量の仏像が発掘されています。

乳海攪拌を象徴する塔門入り口

塔門の入り口付近には、乳海攪拌にゅうかいかくはんを模した彫像が並んでいます。アンコール・トムの塔門入り口とよく似たデザインですね。

Preah Khan

綱引きをするかのように、神々と阿修羅たちが巨大な蛇を引っ張り合っている様子が表現されています。

「乳海攪拌」って何?
という方はコチラの記事へ

アンコール・トムのものよりも規模はやや小さめですが、ここでは車やトゥクトゥクを気にせずにゆっくり鑑賞することができるので、ぜひ間近で観察してみてくださいね!

Preah Khan
堀を背景にした乳海攪拌の様子

因縁の宿敵、ガルーダとナーガ

プリア・カンの特徴の1つが、周壁に描かれた巨大なガルーダ像です。大きな足の爪でナーガを押さえつけている様子が描かれています。

CN編集部

近くで実際に目にすると、迫力がありますね! 写真で見るよりも大きく感じます

Preah Khan
西塔門、東塔門の両脇に刻まれている

ガルーダもナーガもヒンドゥー教(ときに仏教)の神話に登場する架空の生き物です。神話のさまざまな場面で活躍するので、カンボジアの遺跡にもよく登場します。

実はこの両者、神話では「異母兄弟」の関係にあるのですが、お互いに仲が悪いと言われています。プリア・カンに刻まれたこちらのレリーフもそうした神話のエピソードを元にデザインされたのかもしれませんね。

Preah Khan

また、東側のテラスには、ナーガにまたがるガルーダの彫像も残っています。保存状態が良く、デザインもとても素晴らしいので、ぜひチェックしてみてくださいね!

ガルーダとナーガが敵対関係になった経緯については、ヒンドゥー教の神話で語られています。細かい出来事は伝承によって異なりますが、大筋はほぼ同じです。

ヒンドゥー教の言い伝え

昔、ヴィナターカドゥルーという2人の姉妹がいました。2人はある日、創造神ブラフマーの子である聖仙カシュヤパの妻となりました。しかし同じ夫を持つ2人は仲が悪かったそうです。

ある日、2人はとある賭けをすることになり、負けた方が勝った方の奴隷になるという約束をしました。本来この賭けはヴィナターの勝ちだったのですが、どうしても負けたくないカドゥルーが卑怯な手を使ったため、ヴィナターは負けて奴隷になってしまいました。

2人にはそれぞれ息子がいました。ヴィナターガルーダを産み、カドゥルーは1000匹のナーガを産んだと言われています。

ある日、自分の母の窮状とカドゥルーたちの卑怯な策略に気づいたガルーダは、ナーガたちに対して母を解放するよう頼みました。するとナーガたちは「天界にある不死の妙薬アムリタを持ってくればヴィナターを解放する」と約束しました。

そこでガルーダは母を救うために、すぐにアムリタを求めて天界へ向かいました。さまざまな神々が妨害しようとしましたが、ガルーダの力は強大で誰も歯が立たず、ガルーダは妙薬アムリタを奪うことに成功しました。

しかし、母とナーガたちの元へと帰る途中、ガルーダヴィシュヌ神と出会います。ガルーダの勇気と力に感動したヴィシュヌは、アムリタを用いずにガルーダに不死を授けました。それに感謝したガルーダは、ヴィシュヌのヴァーハナ(乗り物)になることを誓いました。

さらに帰り道でガルーダは、自身の異母兄弟にあたる雷帝神インドラに出会います。インドラは激しい雷で攻撃しましたが、ガルーダはそれらも簡単にかわしてしまいました。ガルーダの強さに感銘を受けたインドラは、ガルーダと友情を結びます。2人はヴィナターをナーガたちから解放したらアムリタを天界に返すこと」「今後ナーガたち蛇族を食料とすること」の2つを約束しました。

ようやくアムリタを持ち帰ったガルーダは、ナーガたちにアムリタを見せました。すぐにアムリタを飲もうとするナーガたちに対して、ガルーダ「聖なる妙薬を飲むのだから、身を清めてきた方が良い」と伝え、ナーガたちを一度追いやります。ナーガたちが沐浴をしている隙に、インドラがアムリタをこっそり奪い返してしまいました。

その後、ガルーダは無事に母ヴィナターを解放し、蛇族たちを食べながら穏やかに過ごしたと言われています。

門衛神ドヴァラパーラ

第二塔門の両脇には、門衛神ドヴァラパーラの彫像が残っています。残念ながら頭部は紛失してしまっていますが、レリーフではなく彫像として残っているのは珍しいです。

Preah Khan

ドヴァラパーラは、門番の役割を担っており、武装した戦士や憤怒の形相をした巨人の姿でよく表現されます。カンボジアの遺跡だけでなく、東南アジアの寺院や王宮などでも見かけることがある存在です。

Preah Khan

ギリシャ神殿のような二階建ての建造物

プリア・カン寺院の最大の特徴は、こちらの二階建ての石造建築物です! 遺跡の北東部分にあります。

1階部分の柱は、ギリシャ神殿を彷彿とさせるような曲線的なデザインをしています。数あるアンコール遺跡群の中でも、こうした二階建ての構造を持つ建造物はとても珍しいです。

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一説によると、図書館のような役割を果たしていたのではないか、という見方もありますが、実際のところ何の目的で使用されていたのかは分かっていません。いまだに謎の多い建造物です。

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この2階建ての石造建物のすぐ近くには、ラテライトで造られた階段のようなものもあります。階段の両脇にいるのはシンハ(獅子)像です。当時は、2階建ての石造建物とセットで何かに使われていたのかもしれませんね。

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美しく舞う13人のアプサラ

プリア・カンを訪れたら、ぜひチェックしていただきたいのが「踊り子のテラス」と呼ばれる広間のようなエリアです。

プリア・カンの約5年前に建立されたタ・プローム寺院にも同様のエリアがあります。

CN編集部

かつて王は、この踊り子のテラスでダンスを鑑賞していたそうです。当時はさぞかし華やかな空間だったに違いありません!

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「踊り子のテラス」では、ぜひドア部分の上に刻まれた13人のアプサラ(水の精)のレリーフをチェックしてみてください。軽やかに舞うアプサラたちの優美な姿が今もはっきりと残っています。

Preah Khan

まぐさ石や破風などの浮き彫り

多彩なレリーフもプリア・カンの見どころの1つです。ぜひまぐさ石や破風、壁面などに注目しながら足を進めてみましょう。

プリア・カンは仏教寺院であり、建立当時は観世音菩薩を祀っていましたが、他にもヒンドゥー教の神々や土着の精霊なども信仰の対象に含まれていました。

万神殿パンテオンとしての役割を担っていたと言われるバイヨン寺院とも共通点がありますね。あらゆる信仰を受容し、帝国内を遍く照らそうとしていたジャヤヴァルマン7世の思想が表れているのかもしれません。

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ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ
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アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神と神妃ラクシュミー
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祈りを捧げる神々やデヴァターたち
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カーラの上に座るリシ(聖者・賢者・苦行者)
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船?のようなものに乗る女性
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祈りを捧げる人々の姿
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壁面にいくつも刻まれたリシ

慎ましく微笑むデヴァター像

プリア・カンにも、他の遺跡と同様に壁面にはいくつものデヴァター像が刻まれています。

デヴァターたちが身につけている装身具は質素なものが多いですが、それと対照的に周辺に刻まれた浮き彫りが細緻かつ華やかで、うまくお互いに調和しています。

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ぜひ他の遺跡のデヴァターたちと比較しながら鑑賞してみてください。プリア・カンのデヴァターたちは慎ましい雰囲気でありながらも、アンコール美術最盛期ならではの成熟した美しさを感じさせます。

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遺跡に絡みつく大樹

遺跡に絡みつく大樹といえば「タ・プローム」が有名ですが、実はプリア・カンでもそれに近い姿を楽しむことができます。

屋根を食い破るかのように伸びているスポアン(榕樹)からは凄まじい自然の力を感じます。

CN編集部

人間と自然の営みが融合した、1つの芸術作品のようですね!

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屋根を食い破るかのようなスポアン

周壁をまたぐように生えているスポアンの近くには、見事なドヴァラパーラの浮き彫りが残っています。ぜひこのアングルで写真を撮ってみてくださいね。

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スポアンとドヴァラパーラ
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中央祠堂エリアのストゥーパとリンガ

中央祠堂にはストゥーパ(仏塔)が安置されています。かつては中央祠堂に観世音菩薩が祀られていたようですが、16世紀ごろにこのストゥーパが建立されました。

Preah Khan
ストゥーパ(左)とヨニ(右)

また、中央祠堂付近には、リンガやヨニも残っています。リンガとヨニはそれぞれ男性器と女性器を模したもので、繁栄を象徴する存在としてアンコール王朝で広く信仰されていました。

プリア・カンにある、3つの穴が空いたリンガ台は、シヴァ神とヴィシュヌ神、そしてブラフマー神の三大神を祀ったものだと考えられています。このように3基のリンガを収めるリンガ台はカンボジア遺跡の中でも珍しい存在です。

Preah Khan
特徴的な形をしたヨニ(リンガ台)

プリア・カン遺跡|ポイントまとめ

今回は、アンコール遺跡群の中でも特に見応えのある「プリア・カン遺跡」についてご紹介しました!

プリア・カンを含む大回りコースは、小回りコースと比べるとややマイナーな遺跡が多いのですが、ジャヤヴァルマン7世の時代に創建された芸術性の高い遺跡を鑑賞できるおすすめコースです。

CN編集部

訪問客の数も少なめなので、ゆっくり静かに観光しやすいのもオススメする理由の1つです!

プリア・カン見どころ!
  • アンコール遺跡群でも珍しい2階建ての石造建築!
  • ナーガを踏みつける巨大ガルーダ像
  • 華麗に舞う13人のアプサラ像と「踊り子のテラス」
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